『カサブランカ』製作75周年

75_3イングリッド・バーグマンの大ファンを自称するσ(-_-)ワタシ、今年が名画『カサブランカ』製作から75周年だという事は知っていたが、相変わらず、食えない日本の映画界…、国内での再上映のお話は無いようだ。
それこそ映画の都ハリウッドでは、数日間に限ってだがリバイバル上映もあり、昨年大ヒットした『ラ・ラ・ランド』の中ではリスペクト映像が随所に使われて、このコトはI.Bファンの間では度々話題にもなった。

まぁ、ファン心理の嫉(そね)みはともかく、今でこそ映画界の“金字塔”と言われる『カサブランカ』も、主演のバーグマン自身は、実は撮影当時、日々書き直される台本を手に、全く結末が見えない…と熱量の掛けようも無く、早く撮影が終わればいいのに…と思っていたと言う。だのに、いつも自分と『カサブランカ』を重ね合わされることには違和感しかない…と、あちこちで発言しているから笑える。
それよりも、文豪ヘミングウェイに“マリア役はバーグマン以外に有りえない!”と、原作者自らに主演オファーされた『誰が為に鐘は鳴る』の撮影を控え、心はとっくの昔に“マリア”へと飛んでいた。…と、これまた本人が自伝の中で明かしているので、どれだけ『カサブランカ』の“イルザ役”に熱が無かったかが分かる。
『カサブランカ』のクランクアップから2、3日で、髪もバッサリ切り落とし、短髪、クリンクリンのパーマ頭で『誰が為に鐘は鳴る』の撮影現場に乗り込んでいったそうだ。
『カサブランカ』の監督、マイケル・カーティスも、編集作業に入って、撮り直しが必要になったのでバーグマンを呼び戻したら「彼女はとても“イルザ”を再演できる顔では無かった…」と回想している。

ところが、バーグマンの代表作は?と問えば、今でも誰もが『カサブランカ』を挙げる。この75周年がハリウッドでイベント化されているのもその証で、世界的にそういう評価が付いて回る現状に、後年のバーグマンも『この前リバイバルで見たら、あれは“案外イイ”映画だった』とコメントするようになる。初めてそう言った時にドッとうけたので、後々、この話はバーグマンお気に入りのジョークになった。YouTubeなどで古いインタビュー番組を探すと、毎度のように『後で気づいたけど、あれは“案外イイ”映画だった、ワハハハハ!!』と、場内を沸かせている。

世間の評価と己の思いとは、存外こんなもので、私も個展などやると、いつも評価を集める作品が、自身の思いの外にあることを思い知らされる。それは、時々自分の適性すら見失わせるが、「全部ダメ!」と言われるのとは違って、妙な快感でもある。
先だっての父との2人展『傘と酉』(2017/10/24-28)でも、大概の関心は、古色掛けた写真の表現技法に集まったが、その中でも、自身“会心の作”とは違う“とりあえず…の一枚”に、「味がある」「この作品にこそ、この表現技法が生きている」「こういう景色を見て旅していたのねぇ~」などと、かなり感慨深げな言葉を寄せられて、本人的には≪あぁこっちですか…≫と言う思いにさせられた。

展示も終え、早2週間…。
礼状の発送もまだ完了していない中で、まずは嫁ぎ先の決まった作品たちを送り出す作業を進めているが、そんな折、ふと “とりあえず…の一枚” を眺めて思った。
≪今気づいたけど、これは“案外イイ…”。≫
バーグマンと私を重ねるのは、かなりおこがましいが…(笑)、熱量の無かった作品が、今になって良く見えてくるコトに、こんなバーグマンお気に入りのジョークを思い出してしまう。
そして、今夜もまた、私の部屋では 映画『カサブランカ』のDVDが流れている。

| | コメント (0)

個展開催のお知らせ

五島列島の写真を発表してから2年が経ち…、それ以降は、度々のグループ展に参加してまいりましたが、そろそろ…というコトで、久々に個展を開催します。(^_^;)

開催に当たり、近年、何かと話題になっている中東諸国を…とも考えましたが、先般、日本人も惨殺されるなど、過激な殺戮とそれに対する空爆など、とにかく、ひたすら血にまみれた感のある中東諸国は、もはや私の捉える写真とはあまりにもかけ離れ過ぎてしまい、そんなエリアに残る、壮大な歴史的遺構群や、果てしなき砂漠の風景など表しても、見る人の心に、ストンと落ちない気がしてなりません。

そこで、今回の個展は、そういった中東エリアは扱わず、私自身のアイデンティティでもあるアジアに目を向けてみました。
私が写真を撮るようになって、常に追い求めているテーマは、原始の時代から人類の精神活動に在った“信仰”とその“聖地”探訪です。

尤も、展示会場のギャラリーの広さも強く影響しており、こじんまりした空間で見せるコトを考えた時、
大きな存在の神様が居て、トップダウンの契約や戒律で繋がる思想ではなく、誰もが持ち合わせる“内包する聖性”にスポットを当ててみようかと思い立ったわけです。
そんなわけで、今回の写真展は『祈りの容(かたち) ~主なき天空の聖域・チベット~』と題し、チベット密教の世界観を、垣間見て頂こうと思っています。

銀座の外れ、「ギャラリーSTAGE-1」(中央区銀座1-28-15/最寄り駅:新富町駅)にて、3月9日(月)~14日(土) までの6日間開催致します。ご都合よろしければ、お運びください。
(写真はクリックすると大きく表示されます)

Dm__2Dm_2

| | コメント (1)

『究極のE'ros展』開催

今年もまた、こういったお知らせから始まってしまいましたが、直近の開催なので取り急ぎお知らせしておきます。
『究極のE'ros展』 画廊企画のグループ展に作品参加します。

お近くへお越しの際は、ぜひお運びください。
(私は常時在廊しておりませんが、事前にご一報頂ければ、会場に居るようにします、よろしくお願い致します。)

Eros_dm1


Eros_dm

| | コメント (0)

作品展のお知らせ

久々の書き込みはこのところいつもこういう内容で恐縮…。
来月下旬、11/22~28 の会期でグループ展『内宇宙の鼓動展』Part14に参加します。

今回は、人物写真を扱う予定です。
参加者の多くが画家さんで、写真の出品はσ(*_*;ワタシ一人だと思われますが、宜しければご来場ください。
(早い時間からは居ませんが、22、23、28日は在廊予定です。)

画像をクリックすると大きくなります。

20141122_14_dm20141122_14_dm_2

| | コメント (0)

イストワール展開催!

このところ、このブログ更新は全て作品展の告知になってしまって恐縮ですが、
私の本業でもあるので、ご連絡しておきます。

来月7/4(金)~9日(水)、『夢のイストワール展』へ作品参加します。
O美術館 〔10:00~18:30 / 初日14:00~開幕 / 最終日16:00閉館〕

この美術団体展も3回目を数えます。
具象を描く画家さんが多い中、造形、工芸、写真、絵本…と展示ジャンルは多岐にわたりますが、
今回、ついに写真作品による参加者はσ(*_*;ワタシ一人になってしまいました。
そんなわけで、意外とプレッシャーを感じていますが、写真部門の底上げのためにも、
過去2回の展示とは趣を変えて、パネルにて7~8点を持ち込む用意をしています。
写真表現の可能性を模索してみます。

絵画部門も結構な作家さんを集めており、60名ほどの力作を一堂に会し、
毎回、見ごたえある展示だと好評を博しております。
今回も暑い盛りになりますが、ぜひご来場のほど、お待ち申し上げております。

20140704_3_2


20140704_32_2





| | コメント (3)

花鳥風月展参加

久々の更新になります。こういう時はいつも作品展のお知らせで恐縮…と思いつつ。
6月2日~7日までの1週間、『初夏の花鳥風月展』というグループ展に参加します。
現在2点ほどの出品を予定しています。初めてのギャラリーで、急な参加の為、DM告知が間に合いません。大した数を出しませんので、もし、お近くへのご用があれば…で、お立ち寄りください。
(会場には常駐していません。)

1_2 2Stage1_map

| | コメント (2)

2013年が終わるというのに…

晩秋に訪ねたアイルランドとロンドン寄道の旅。勢い込んで、紀行文でも書き綴りたいと思っていたが、写真を振り返っても、また覚えたお菓子やビールを帰国後に取り寄せて、食べてみても、飲んでみても、アイルランド絡みの書籍を読み漁っても、一向に自身の旅が熟成してこない。
それどころか、記憶をたどって写真の整理をしようという気持すら薄れてしまった。

過去にもこんなことがあった。2年前、旅を介して知り合った人物と二人で、東南アジアの自由旅行をした。いわゆるバックパックの旅だ。しかし、この時も、帰国後にまったく旅を振り返るどころか、写真すら見なかった。
旅の目的の相違による多くの価値観のズレと、いくつかの不愉快と、多大な準備不足が招いた結果だったが、旅そのものが台無しになった感があり、これは帰国する前から、写真などがお蔵入りすることはわかっていた。
それでも不思議なもので、旅から2年以上が経過し、最近、あの時の撮影結果が気になりだしている。時間のある時に、チビチビトリミングや色補正などを始めた。
いうなれば、これが、私の中での旅の熟成なのかもしれない。

近年、体力の衰えと諸々のバランスを欠く世代になったこともあってか、「円熟」なんて言葉とは正反対に、何もかもが“ダメ出し”の日々に陥っている。
当然、アイルランドの旅の写真にも満足を感じられず、目を背けて蓋をして早2か月…。
もう、こうなったらあの日々が思い出として心に響き始めるまで一時封印し、心の中の熟成を待つことにしようと思う。

敢えて言及しておけば、アイルランドとロンドン寄道の旅は、年甲斐もなくはしゃいで楽しかった。一緒に旅した友人もこの上なく好ましい人物で、すべてが好い思い出。それでも写真に手が出ないのは、自分の中の何かが低迷しているだけなのだ。

年の瀬を迎え、ちょっとだけ仕事や家庭の雑事が忙しい。加えて、今年は忘年会も忙しい。
でも“肝臓くん”が付いていかない。ここでも反比例が起きる。こういうことが、一事が万事、気力を低迷させる。

いま、太陽の黒点が観測史上、最も減少しているという。これは太陽のエネルギー活動が観測史上最低な時季に突入したことを意味するようで、今年は冬が厳しいと言われている。11~12年周期で黒点の量は増減を繰り返すようだが、それでも減少期と雖も著しい冷え込みのようで、自然界がそうなのだから、自分の身に起きる低迷は、自然の摂理と思うことにしている。身勝手であるが、こう思うと、自分はとても自然に忠実な人間なような気がして、気楽でいられる。

今年は昭和44年生まれの私にとっては実は、面白い巡り合わせの一年だった。S44年生まれで44歳。「4」という数字が4つ並んだ年だった。しょうも無い事ではあるが、もうない巡り合わせのぞろ目イヤーを記念にするか、無為に過ごすかは気持ちの持ち方次第だったわけで、無為にしたことをちょっとだけ後悔している。
一年の終わりの月を迎え、どうでもいいことをツラツラ考えるのも、なんだろう、いろんなことが低迷している一つの現れなんだろう…と思いつつ、今年の〆になるかもしれない独り言を終える。

| | コメント (4)

呑兵衛二人旅 -1-

のっけから「呑兵衛、呑兵衛」と称して恐縮だが、呑兵衛な友人Mと二人で、毎年秋になると“酒をテーマの旅”をするようになって今年で4年目になる。

例年、広島は西条市で開かれる「酒まつり」を最終目的に、西日本の酒蔵を訪ね歩いてはご当地グルメと日本酒を愉しむ呑兵衛旅に終始してきたが、今年は思い切って、長年温めていた計画を実行することにした。

それは、アイルランドとイギリスのパブ巡りをすること。

私はかねてより、ドイツ、ベルギー、チェコ、アイルランド、イギリスという国々は、独自にビール文化を花開かせて歴史の長い、ビール愛飲家の聖地だと思っている。

今から15年ほど前に、ビール愛飲家の集い【昼からビールを飲む会】を結成して以降、ずっとこれらビール聖地を会として旅することが私の夢であった。

【昼ビール】について少し説明すれば、この会はその名の通り、真っ昼間からビールを飲む会である。ビールを愛飲し、喫煙しない女子に限ったメンバーで構成し、とにかくお昼から何次会と場所を転々としながら飲み歩き、散会は日付も変わった午前様…という、恐ろしくビールばかりを飲む集いなのである。

一時期には10名を越えようかという勢いでメンバーを擁した頃もあり、会員証まで発券して会員意識を高め()、団体でビール工場見学に行ったりしたものだった。しかし会が大きくなると、次第にメンバー間でも親疎の差が歴然とし、結婚や留学、居住地の移転など会員を取り巻く環境が変わることもあり、とにかく開催日程を調整すること自体が困難となった。それは、いわば会の立ち消えを意味し、事実上、休会となってしまった。

…が、決してこの会は消滅したわけではなく、発起人の私と呑兵衛の友人Mは、細々ではあるが、こうして酒をテーマに集いを繰り返している。ただ、日本酒に傾いたりしながら、ウロウロ脱線を繰り返してはいるが…(笑)。

そんなわけで、酒旅も4年目を迎えた今年、Mと私の間柄なら、やはり原点回帰の意味合いも込めて“ビール聖地の踏破”をお題目に旅をしようじゃないか!とアイルランド・イギリスを旅してきたのである。

尤も、せっかくケルトの文化が息づく地を訪れるのだから、そういった歴史探訪も忘れずに、更には景勝地へも足を延ばしつつ、夜はパブで彼の国の雰囲気を満喫する日々を目論んだ。

こんな内容のパッケージツアーなど存在するはずもなく、今回は全くの“フリーな女二人旅”となった。

英語もままならない私たちであったが、酒飲みの根拠のない度胸で、フラフラ~とパブや飲食店に足を踏み入れる楽しさは、これまで団体ツアーばかりで海外旅行をしてきた私には格別な快感があった。言葉の通じない疎外感さえも、どこか適度に旅人感を増長して心地よく、アイルランドという国から始まったこの酒旅が、得も言われぬ愉快な日々になることを予感させた。

Img_0606 Img_0609 Img_0610 Img_0614 Img_0794 〔写真左から:狭くて嫌いなブリティッシュエアウェイズの機内にて。/ダブリン空港から市内へのシャトルバスにて/滞在拠点のホテル ノーススターにて。大変快適なホテルでした。/その朝食。アイリッシュブレックファーストはボテトケーキと言われるコロッケや豚の血入りのソーセージなどが一般的とか。〕

| | コメント (0)

6分間の団結

うなぎ屋さんのポスターや広告など、宣材物に使用する写真撮影とそれらデザインの仕事を貰うようになって、築地に行くことがここ数年非常に多くなった。そんな築地で、欧米・アジア系を問わず外国人観光客が本当に多く、いつも驚かされる。

日本の観光地というと、私には単純に、京都、奈良、鎌倉、横浜、日光、富士山…といったあたりしか思い浮かばない。しかし、来日する外国人が見てみたい場所の№1が「東京」というから、へぇ~というほか言葉もない。
まぁ…確かに私自身が外国を訪れて、まずはその国の首都に滞在したいと思うのだから、当たり前か…。

さて、そんな築地でよく見かける光景が、地図を広げて2~3人で行先の確認をしている外国人の姿だ。地図を上下ひっくり返したり、信号の下の文字を一生懸命読んだりしている。
でも、あまり周囲の人に尋ねようという気配は見せない。訊いてくれればいいのに…と思いながら横を通り過ぎる事しばしばである。

そんな時、いつも思い出すのが数年前の、高田馬場から池袋までの6分間に起きた山手線での出来事だ。

二人組の若い白人男性が観光ガイドを片手に「this train go to Akabane?」(この電車は赤羽行きますか?) と周囲に聞きまくっている。誰しもが、自分に訊かれたら困る…という顔で目を逸らす。
電車の発車ベルが鳴る。「Go to AKABANE?」と訊く彼ら…。ドア際から、不意に「イエス」の声。と、ドアが閉まる瞬間、二人の外国人は飛び乗った。

さて、そこからが大騒ぎになった。

親切な日本人が、ワンサカ彼らの周りで「この電車は赤羽には行かない」と告げたいのだ。
「赤羽は埼京線だ」「池袋で乗り換えが必要だ」「埼京線だ、このままじゃダメだ」…日本人同士がワイワイ確認しあう。

私も手元にあった路線図の裏が英語表記だったことを想い出し、カバンから取り出して外国人二人に渡した。何しろ、彼らの持つ外国編集の『JAPAN』というガイドブックは、私たち日本人には実に見づらいのだ。

「ナウ、ディス、ライン。(山手線を指し示す)」「池袋ステーション、トランスファー、サイキョーライン」単語だけ並べてひたすら指で路線図を指し示す。
彼らは、「AKABANENoストップ?」と驚いている。
NoAKABANENoストップ」「ユーニード トランスファー」

電車は目白を過ぎた。あと2分で乗り換えの池袋だ。
そんな時、ドア際から歩み寄った白髪、背中の丸まったお婆ちゃんが、「私が一緒に行ってあげる」と言い始めた。
すると周囲のサラリーマン風の男性が数人、「駄目だよ、お婆ちゃん、知らない外人さんと一緒なんて」「危ないよ、やめときな!」
「いいえ、私が赤羽まで一緒に行きます」
「よせ、よせ、何されるかわからないぞ、危ないぞ、」の声…。

外国人二人は、日本人同士に何が起きたのか解らず、男性陣とお婆ちゃんが紛糾している状況に驚いていた。

電車は池袋構内に滑り込んだ。タイムリミットだった。
この車両の客は、大半が池袋で下車する。皆、開くドアに向かって徐々に詰め寄り始めた中で、外国人二人に流暢な英語で「The change to the Saikyo Line at this station, let's go Come(この駅で埼京線に乗り換えます、さあ行きましょう…) みたいな事を言っている人が現れた!

おっ!?と思って振り返れば、あの白髪、背中の丸まったお婆ちゃんが、彼らをリードしているではないか。

ドアが開くまでのわずかな間、誰もが目を見張った。英会話から最も圏外に居るとみなしていた老婆が、実は一番、外国人とコミュニケーションの取れる人物だったのである。

更に老婆は「私が赤羽に行きたいのよ」と誰に聞かせるでもなく言い放つと、二人の白人若人を伴ってスタスタ降りて行った。

<なんだあのババぁ~>と内心、誰もが老婆に一本取られたことを、安堵と共に苦笑いで受け止めたに違いない。

ひとしきり、乗り合わせた見ず知らずの日本人同士が、外国人への道案内を通じ、にわかに団結し、驚くほどの親切心を発揮した。その親切と団結は、池袋駅でドアが開くと共にあふれ出た人々の流れに乗って雲散霧消と化し、皆はまた、全く知らない人々になっていた。

築地で外国人観光客を見かけるにつけ、私はいつも、あのハラハラザワザワした山手線での蜃気楼のような6分間を想い出すのである。

| | コメント (0)

目指せ、パン職人!?

小麦粉の値段が高騰した数年前、ご飯でパンか作れる「ゴパン」なるホームベーカーリー(家電製品)がブームになった。予約してもなかなか入荷せず、手に入れるまでに随分待つほどだったと記憶している。
ブームと聞くと背を向けたくなる我が底根に潜む反骨心から、パン作りなど眼中になかったが、とある通販サイトで、Made in〝CHINA〟のホームベーカリーが、バカみたいな値段で売りに出ているのを見て、思わず衝動買いした。

なんだ、やっぱり欲しかったんじゃないか…。

名前とは裏腹の〝ひねくれ者気質〟で、これまで多くの楽しみを享受し損なってきた我が気質を、この時も忌々しく思いつつ、それでも届いたホームベーカリーを開封もせず、そのままリビングの片隅に放置した。
購入からだいぶ経ったある日、万が一不良品だったら交換もしてもらえないほど放置したことに危惧感を抱き、開封…。
取説を読みながら、「へぇ~、ほぉ~…」と、材料を買い揃え、パン作りに取り掛かった。

20130628_120130703dscf1922miniな、なんとっ、メチャクチャ楽しい!!! …ということで、現在、我が最大の楽しみが「パン作り」。

軽挙妄動的でブームに乗るのは今もって気が進まないが、多くの人が楽しいと思うことに、もう少し素直に耳を傾けてもいいんじゃないかな…と、四十も半ばに近付き、ようやく気づく不器用さ…。「遅ればせながら」の楽しみに、不要な鎧兜をやっと脱げるようになった気がしている。
全く、何に反発を覚えるのか、損な生き方だと思いつつ、本日もパンを焼く気でいる。

20130707_img_026120130709img_0300mini

20130802_dscf0032 20130820_img_0448

20130820_img_045120130817_img_0425

| | コメント (0)

バーグマンの誕生日に…。

昨日8/29は往年の映画スター、イングリッド・バーグマンの誕生日であり命日だった日。没後31年、存命であれば今年98歳になったはず…。
娘で女優のイザベラ・ロッセリーニのFacebookにはこんな写真が掲載された。
母親に、花とキスを贈る子供たち。微笑ましく、羨ましいほどの幸せの構図。

私には母との旅の写真などはいくつか残っているが、こういうお祝いの写真は皆無。母の誕生日を家族あげてお祝いし、ビデオにも残したのは母の最後の誕生日(60歳)だけ。既に癌により余命宣告も受けていた後のコトで、全然、元気な姿でない上に、盛り上げようと私ばかりがしゃべっていて見る気もしない…。トホホ~(*_*;
もっと存命中に、わざとらしいぐらいの記念写真をたくさん撮っておけばよかったと、いつもこの時季、バーグマンの生誕日を迎えると何となく思う。もちろん、著名人の写真量と一般の家庭婦人との比較はナンセンスなのはわかっているが、自分が写真を生業にしているがゆえに、普通より時々の素敵な写真がたくさんあってもよさそうなものを…と。ただただ、慙愧の極みである。

1236524_565135606866788_119244779_2


| | コメント (2)

あじさい会、東京展閉会

先にご案内の「2013あじさい会写真展-花-」東京開催展(於:オリンパスギャラリー東京)が、無事、閉幕しました。2週間後からは会場を大阪(於:オリンパスギャラリー大阪)に移し、次いで青森へと巡回します。尤も、私たち出品者が在廊するのは東京展だけですが、全国津々浦々に居る同窓生たちにとっては、この度の巡回展に寄せる期待は大きいようです。

 

2013ajisai_exhibition12013ajisai_exhibition22013ajisai_exhibition3さて、東京展は酷暑の中の開催となりました。正直、自身の受付当番に赴くのさえ嫌だった有様でしたが、発足から41年、オリンパスギャラリーでの写真展開催も31回目を数えるこのあじさい会の写真展には、日芸写真学科の卒業生をはじめ、多くの根強いファン層があるようで、連日盛況だったのには驚かされました。日大生というのは、どこにでも居るからなぁ~…と思いつつ、年配層の元気さにはただただ感服です。

 

2011年以来、私自身は2回目の出展。

「花」というテーマに限られた会派なので、題材は花しか撮れません。

本音を言えば、≪花なんか撮るようになっちゃおしまい≫と思っていて、…というのも、「花」はいわば、植物が子孫を残すための生殖器。虫を集めて受粉させ、より多くの種を残し…と色、形のみならず、薫りをも含め、自然の摂理の中で長い年月をかけて改良に改良を重ねた、自然界の“究極の完成形”だと思っているわけです。

それを、いくら上手に写真に撮ってみても、所詮、本物に勝る筈もなく…、そんな風に思うからです。

こういう被写体を作品にするには、もはやコンセプトが大事、そう思って試行錯誤…。

 

ふと、身近に咲いた“困った花”を得て、これにしようと思った次第です。

実は私、買うだけ買って、使わなかった野菜に、よく花を咲かせてしまいます。

花は大概、咲いて喜ばれます。しかし、だらしなく放置して咲いてしまった野菜の花というのは、喜びとは程遠い。そんな花を見ての第一声は「うわっ、咲いちゃった…。」です。

花に栄養が行った野菜など、味は悪いは、食感もスカスカだわ…、結局、処分です。

 

2013ajisai_exhibitionc本来、家庭の台所に来た時点で、野菜というのは葉や実や根っこまでも食材として食されて完了します。

畑に出れば、それなりに花も目にするでしょうが、台所で花をつけるチャンスは、野菜そのものにとっても稀なこと。

視点を変えれば、土や水、日照が十分だったわけでも無い悪環境の中で、それでも淡々と種の保存に花を咲かせたしたたかさは、一種のオマージュさえ覚えます。

そんなわけで、今作品は“喜ばれない花”をテーマに食材の開花を撮影しました。

題して「Kitchen flower-大根-」「Kitchen flower-ネギ-」です。

| | コメント (0)

あじさい会写真展開催

フェイスブックでの情報アップが簡単なためか、はたまた、発信に対して即時性をもってリアクションが返ってくることもあってか、情報発信は劇的にフェイスブック重視の流れにあります。

なるほど、世界中が支持するわけが分かるような気もします。

しかし、「原点回帰」を掲げた『すとろんぼりの独り言』は、やはり大事な“場”の一つです。

五月雨更新もままならず、蜃気楼状態ですが…()、頑張れ、自分!ということで頑張ります。

 

 

2_happy_greenmini3miniさて、簡単な近況報告です。

74日開催の「あじさい会写真展-花- 」に参加します。

母校(日大芸術学部写真学科)OGで構成する有志会ですが、歴史は30年、40年という会派です。

“花を撮る”という大命題の中での作画。参加者24名のとらえた「花」が咲き揃います。

私は2点、作品を出展します。会期中、もしお近くへ来るご用があれば、ついでにお立ち寄り頂ければ嬉しく思います。

| | コメント (0)

果報は寝て待て

こまめに更新…と思いきや、あっという間に数ヶ月の停滞…。悪しき癖(へき)が染み着いたようだ。

尤も、文章を書いている時間がない。何しろ、今年に入って間もなく、制作依頼が入り中国へ渡航。Meirui__2Meirui_

以前もその話題には少し触れたが、数日で帰国すると、1月後半から2月…、3月初旬まで、ほぼこの制作依頼にかかりきりだった。こういうといかにも作品制作のように思われるかもしれないが、あくまでも商業写真で、それを用いたポスターや製品カタログ、会社案内といった印刷物の版下制作が依頼内容だった。

依頼主は日中合弁の海鮮珍味食品メーカー。

_dscf1569m_dscf1565m製品や外箱のパッケージデザイン、商標やロゴデザインといったところで当初関わらせてもらい、その後、米国での見本市出展にまつわる販促・宣材物の一切を、我がアトリエで…、つまり私一人で()制作することになったのだ。

私が写真というツールを使って、本来やりたかったことは、紀行写真家になることだった。一つのテーマで世界の景色を追いかける…、そんな撮影を生業にしたかった。

昨年末、思いがけず、その夢が叶うかもしれない…という話が舞い込んだが、番組制作会社からの連絡待ちがいまだ続いていることを冷静にみれば、まぁ、この話は“お流れ”だろう。(--)y-゜゜゜

ただ、「果報は寝て待て」タイプの私に、降って沸いたような“果報”だったので、珍しく高揚感漲る数ヶ月を過ごし、それはそれでとてもイイ時間だった。

そんな中で、先の制作依頼が入った。中国にも連れて行ってもらい、「中国で仕事をする」という現実を垣間見せてもらい、いろいろ思うことの多い撮影となった。

こちらも、寝て待っていたような状況下での出来事、本当に人生捨てたものじゃない…という思いだった。

_dscf15743月初旬に、ようやく、大いなる達成感を以て我が手からこの食品メーカーの制作が離れると、それを待っていたかのように、今度は、画家や造形家といったアーティストたちから、各々の作品展の告知チラシやDMなどの制作依頼が舞い込むようになった。

これがひと段落つくと再び、食品の撮影・販促物制作の依頼がやってきた。Dscf1791mini_2

季節ごとにいろいろ仕掛けたい!という、意気込みある飲食店からの依頼で、こちらとは二年ほど前から、我がアトリエがタッグを組ませてもらっている。

そんなこんなで入れ替わり立ち代わり、今年に入ってずっと他人の商品・作品のための「何か」を作り続けている。

Ajisai_2013dm_happy_green夏には、母校(日大芸術学部写真学科)の女子卒業生有志会が行う、定例作品展に出品参加する予定だが、依然として自身の作品撮影など皆目手付かず。提出までひと月を切っているというのに、焦りばかりが心を蝕む。(この会派のDMも私が作ることになった)

本来の「やってみたかった」からは大きく離れた日々を生きているが、それでも辛うじて軸には写真がある。

いまやボタン一つ押すだけで、誰にでもそれなりに美しい写真が撮れる“超(スーパー)デジカメ時代”に、そのボタンを押して欲しいと言われるのだから、何とも笑えるじゃないか。

写真以外のことは、多少二の足を踏むが、軸がブレない限り、“I want / I hope / I wish…”なんて思いは封印して、他者に求められることに応えればイイと感じている。実は、そこから得るものは案外多い。自分が、これまで被写体として選ばなかったものばかりが飛び込んでくるのだから、否応なしに、多少は手こずらされるし、良く写すための研究もする。これが、いずれまた主語が“I”になった時、絶対、どこかで活きてくるはずだ。

なにはともあれ、こちらから営業することなく飛び込んでくるボタン押しの依頼…、果報は寝て待っていればいいんじゃないかな。

| | コメント (0)

五体満足の不自由

日曜の早朝、教育テレビ…今は「Eテレ」と呼ぶようだが、そこで『心の時代』という番組をやる。

多くは僧侶や牧師など、宗教家が経典や聖書の解釈を語るが、時折、作家や芸術家などが講演会の如く人生論を語り心に残ることがある。

夜っぴて起きているような週末、ついついそんな番組を見てから朝寝する。

 

Ooisi_kuniko今週の『心の時代』には大石邦子(写真)というエッセイストが出た。

知らない人だが、何やら大事故に巻き込まれたようで、車椅子生活を余儀なくされていた。そんな治療とリハビリの最中に親が死に、その後は癌を患い、更には術後に動脈破裂と、とにかく「これでもか!」と言うほどに大病を繰り返してきたそうだ。

それでも尚、「自身の肉体が愛おしく、生きてさえいれば人生は素晴らしい」と語った。

 

今、教育関係者やPTA、中高生に向けて講演会をすることが多いという。

そして、今の若者たちに伝えたいことは、とにかく「苦しみから逃げないで」だそうだ。

 

氏は癌を患った時、抗癌剤治療の苦しみを、他の癌患者より穏やかに、笑みすら湛えて乗り越えられたという。

なぜなら、車椅子生活を余儀なくされた事故後の治療で免疫抑制剤を使用し、その時の苦しみが抗癌剤のそれと似ていたからだそうだ。過去に乗り越えた経験から“苦しみ”の先が見通せた為、現在の苦しみは通過儀礼に過ぎない、そう思えたのだろう。

 

つまり、過去の苦しみが、後の自分に“経験”と“乗り越えた自信”を与え、それが心の強さ、穏やかさ、苦しみと戦う力になったというのだ。

 

だからこそ、一つの悩み・苦しみときちんと対峙さえすれば、人はそれを超越しようと「考え」「行動し」「経験」を積むという。そして、それらが全て自らの血肉になると語った。

 

もし、苦しみから“逃げ”てしまったら、何も経験を積み上げられないし、逃げた自分を苛み、後悔と挫折までもが生じ、小さかった筈の悩み苦しみが、大きなモノに変異してしまうのだと…。

 

まぁ、「言うは易し、行うは難し」だが、こんな講演の後にある女子高生から

「私には大石さんのように障害がないから、どうやって苦難に立ち向かえばいいのか分からない」と返され、大変なショックを受けたと言った。

五体満足で、健康で、両親も健在で、未来もあり、なに不自由ない素晴らしい環境にありながら、病巣だらけの不自由者を羨むような発言に、大石氏は何も言えなかったそうだ。

 

次元の異なる話だが、この女子高生の言葉にふと思い出したことがある。

 

10年余り前、外国人留学生や就学生に日本語を教える「日本語教師」という資格を取った。

日本人なら誰でも出来ると思われがちだが、ボランティアなどではなく、正規に日本語教師として教壇に立つには、二つの道筋がある。

ひとつは、420時間長期養成講座を受講し、模擬授業、教育実習を受けて、1単位の欠落もなく期間内に卒業することが求められる。尤も、真面目に通えば大概が資格取得となるので、一発勝負の検定試験が苦手な人には有り難い道筋である。

 

もうひとつは、「日本語教育能力検定試験」を受験して、合格すること。

自分で言うのもなんだが、こっちは、結構大変…。難易度というより、出題範囲が広すぎて…。

現行の試験は私の頃とはだいぶ変わったと聞くが、当時は180分ぐらい(?!)ぶっ続けの1次テスト(マークシート)を受け、午後に「聴解」というヒアリングテスト、そのあと論文形式の記述試験があった。

1次の問題量は膨大で、最後のページまで辿り着けない人が続出…。私も残りの2ページほどは問題も読まずにマークシートを当てずっぽうに塗り潰したようなものだ。

そんな1次と聴解の合計が、基準値まで達していないと三部の論述テストは採点すらしてもらえない。

とにかく、朝から夕方まで、終日かかって受験した記憶がある。

 

どちらか一つ持っていれば日本語教師を生業と出来るわけだが、私は運よく、神がかり的に検定も合格し、日本語教師になる為の資格を両方とも取得した。

だのに、ある日本語学校の研修会で「420時間課程修了と検定合格しか持っていないが、この先、どうしたらいいのか分からない」と真面目に講師に質問し、会場を凍り付かせたコトがある。

 

先の話に戻せば、大石邦子さんがショックを受けたと言う「障害がないから乗り越え方が分からない」とほざいた女子高生と私は正に同じだったのだ。

 

昨今、多くの学生が就職できずに苦戦しているが、多分、彼らもまた同じだろう。

勉強はした。高学歴で尚、在学中に立派な資格も次々取得した。でも職が無い。仕方なく大学院へ進む。それでも就職浪人になってしまう今、準備はした、努力もした、苦難にも立ち向かった、でも先に進めない…。

そんなジレンマに一筋の光明を求めて講演会に臨めば、車椅子に乗って難儀そうに登壇した女性が、苦難の人生を語り、拍手喝さいを受ける。特別な体験をして、人生を成功させている…と、その瞬間「大変そうでいいな…」と思うだろうか。車椅子が輝かしくも羨ましく見えるのかもしれない。

 

五体満足が故の不自由感。言い換えれば普通すぎて不便…。
自分には特別なものが何もない。なにをどうすれば…という方法論以前に、向いて立つ方向すら見失った感の、今の若者を象徴するような女子高生の問いかけは、未だ日本語教師になろうとも思わない自分の無為っぷりが重なって、日曜の早朝からずっと、妙な共感がぬぐえずにいる。

| | コメント (0)

エコノミストとアーティスト

おととしの秋口ごろから、築地のうなぎ専門店のメニューや広告、販促物制作といった撮影とデザインがらみの仕事を請け負っている。

その関連で先日、商品パンフレットや会社案内の冊子制作の依頼を受けて中国へ飛んだ。

某海鮮珍味メーカーの中国工場の撮影のためで、日本サイドの社長に随行しての渡航となった。

 

場合によっては“至急の仕上げ”が要求されるとのことで、撮影が済み次第、私はすぐにも帰国出来るよう、週2便就航している成田との直行便の間隔に合わせて34日の行程が組まれた。

当初の計画では1週間ほど滞在して、観光も交えて頂ける筈だったが、万事「予定が狂う」のが中国との仕事だそうだ。

 

案の定、「至急!」と言われた話は吹っ飛んで、納期は思いのほか延長された。これは実に有り難いが、なるほど予定が狂う…。

既に航空券をとっている都合上、日数こそ延長できないものの、滞在中はこれまた予定が狂い、うんと暢気なものになった。

そして企業トップに随行しての日々は、こんな雇われカメラマンの私までもが厚遇を受けた。真に申し訳ない程に……。

 

さて、現地召集をかけた訳でもないようだが、関連企業のトップ(日本人)も現れ、我がクライアントの社長も含め、流暢な中国語で仕事の話に花が咲く。その傍らで、必要となる撮影のために待機する私の所在ない事と言ったらこの上ない。生まれて初めて≪中国語を習いたい!≫と思った。

せめてもの繕いに、やむなく、愛想だけは抜群にしていた。

 

ところで、こういう時に企業家(起業家)というのは、本当に、ただひたすらに経済の話をする。もっと平たく言えば、ずっと商いの話、つまりカネの話に終始する。

もちろん仕事で行っているのだから当たり前だが、宴会中も、ホテルでの朝のビュッフェでも、移動の車の中でも、とにかく話は「商い」。一見、違う話のようで、行きつくところ、やっぱり「商い」に落ち着く。

ひとしきり業界内の話題が尽きてしまうと、政治と景気にシフトするが、それでもベースラインはずっとカネの話。

それも終わると、不意に新参者が珍しくなるのか、私の「懐」事情の調査が始まる。正に≪何して食ってるの?≫といったところだが、やはり人の金回りの話だ。

 

フリーランスになって、100万回、否、1億回(笑)訊かれた言葉が「食べていけるの?」である。諸外国の人にそんな質問をされたことは一度もない。こう訊くのは決まって日本人同士。ほとんど存じ上げない方々に、いきなり懐具合を尋ねられるのは、正直、いきなりブラの中に手を突っ込まれたような驚きと不快感がある…(^_^;)。が、そんなことより何より、私自身が他人の経済力に全く興味がないので、なんでこんなことを知りたがるのだろう?と当惑する。

年商何億の企業トップだろうが、日銭にも困る絵描きさんだろうが、前科者だろうが、今、偶然にも時を共有し、知り合いになれたのなら、もっと相手の興味に寄り添った話をしたいものだ。または、極力、カネと政治からは離れた話題を探したい。

 

実は最近、撮影依頼の仕事をもらっても、請求書を書くのが億劫で仕方がない。というか、できればそっちで適当に値段を決めて振り込んでください…と思ってしまう。

毎月仕事をチョイチョイもらっていながら、半年も未請求のままでいたら、昨年末「いい加減、請求してね」とチクリとやられてしまったことも…。当然である、先方にも〆というのがある…。

ただ…、正直、値段なんか有って無いようなもの。そんなことより、写真なんて誰でも撮れる時代に、わざわざ私にシャッターを切るよう依頼してくれた事が、作品を認められたようで、もう嬉しくて仕方ないのである。

 

よく、フリーランスの作家(絵描きでも彫刻家でも写真家でもなんでもいい)が、それほど稼ぎもないだろうに、別途、自宅以外に事務所を持ったり、経理だけ人に頼んだりしているのを見る。

余計なお世話だが、そんな経費こそ節約すればいいのに…と、かつては思っていた。

だが、昨今つくづく自宅兼職場という環境の能率の悪さを思い、別途、アトリエが欲しいと感じるし、会計だけは誰かやってくれないか…と思う。

 

以前、「作家はお金の勘定をしちゃダメなんだ」と言われたことがある。

貧乏でも制作のことだけに没頭して、時にアイデアが枯渇しないよう様々に充電して、また新作を生んで……そうやって過ごせるようになったら“本物”だと言われた。

名付けて「作家サイクル」。このサイクルの中に、判で押したように月末の請求書を起票していてはダメなんだそうだ。本物になれば、お金なんかついて回るらしい…(笑)。

 

関連会社のトップの方にあれこれ我が懐事情を尋ねられながら、ふとそんな言葉を思い出していた。

広告の仕事で小遣いを稼ぎながら“芸術”を語るのは実に口幅ったいが、それでも終始、お金の話を繰り広げる企業家たちを前にして≪あなた方、エコノミスト、私、アーティスト≫とナショナリティーの違いに似たものを感じた。
邦人同士、日本語なのに全く共鳴しない…。むしろ言葉の通じぬ中国工場の社長夫人のもてなしに、心から感謝を覚えた瞬間の方が、どれだけ互いに共鳴したか!と思うと、今や違う世界に棲みついてしまった自分を、少しだけ快く感じるのだった。

| | コメント (0)

ドカ雪と犬

「成人の日」と言えば、かつては115日。

「体育の日」や「文化の日」と並んで必ず晴れる“特異日”だったはずが、経済効果を狙った三連休の“ハッピーマンデー”とやらで、日にちではなく1月の第二月曜と決められてからというもの、あまり天気に恵まれていない気がする。

今年もビックリのドカ雪。晴れ着を着る日になんとも可哀想な天候となった。

一日ずれれば晴れるらしい。やはり成人式は115日にしてあげればいいのに…と思ってしまう。

 

それにしても、都心は本当に雪に弱い。降り始めの昼以降、テレビはずっと雪の影響話に終始している。

とりわけ呆れるのは、○○県で何人のケガ人が出た…と県別に報告するニュース。

「その情報、必要ですか?」とテレビにツッコミ入れっぱなしである。

 

さて、こんな大雪の日…。弱いのは何も都心ばかりではない。

我が家の愛犬ムンクブロー君は、庭駆け回り~♪とはならない。

「雪だよ~」と窓外を見せると、白い世界を怖がって、必死にゲージに逃げ込む。屋根雪がドサッと音を響かせれば、ビビッてワンワン大騒ぎ…。

やっと落ち着いたと思ったら、いつの間にか愛用のタオルケットを自分の寝床に引っ張り込み、頭からすっぽり被って眠っていた。

面白いので思わずカメラを向けると、撮影を意識したのか顔だけヒョコッと出した。

≪こいつ、犬っぽくないなぁ~≫と思いつつ、あんまり可愛いので記念にパチリ。

 

20130114dscf1312


飼い主に似て、寒さ&雪はダメね~。

そんなこの仔も、もう4歳。成人はとっくに過ぎています。

| | コメント (0)

繭の中から

気が付けば、今年もあっという間に10日が経過した。

「一年の計は元旦にあり」と幾つかの“縛り”を設けた昨年、結局、遂行できたのは1月いっぱいと、夏に思い出したように取り組んだだけで、私にはルーチンな決め事は出来ない…という事実だけを浮き彫りにした。

ならば、端から大義を掲げなければいいと、少々消極的ではあるが、今年はざっくり“インプット”というキーワードだけを定めた。

 

長年、写真作品の発表に努め、こういったブログでの発信も然り、最近は広告やデザインの仕事も頂くようになって、これまで以上に無いところからのモノ作りと、構想のアウトプットばかりに傾注してきた。

正直、デザインや広告の仕事は、クライアントの意向を汲んで、「無」から作り出す世界なので、思い通りとはいかずになかなか骨が折れる。

 

写真を撮る者にとっては、テーマと被写体在りき…の基盤があって初めて作品を形作れる。

ここ数年、多くの画家や造形家たちとのコラボ展示に参加させてもらっているが、彼らと話していて、とりわけ同じ二次元の表現者たる画家たちが、どうも似て非なる存在の最たる位置にいると感じるのは、この「無」からの創出という世界観の違いだと改めて知ったところだ。

 

また思いついて語り始めたこのブログも、継続的に話題を探し、ツラツラとしたため続けていくとなると、やはりどこかで身を削る思いがある。(実質的にはちっとも痩せないが…笑)

その挙句が、ネタ切れ。ドン詰まりの休筆に、書くことは嫌いでなかった自分も、≪あぁ、作家にはなれないな…≫と思う。更新が途絶えれば、こんなブログ、存在すら無に等しい。

 

ところで、友人と会って一献交える際も、私はよくしゃべる。

「お話が上手ね」なんて言われて調子に乗るが、いつも帰途、あの人は何か話したい事があったんじゃないか…と自分ばかり話したことを後悔する。

こういうことの一部始終が、持てるモノの放出に明け暮れた挙句の自己嫌悪で、正直、どうしようもない「枯渇感」に苛まれている。

 

昨年末、珍しく、かつての同僚たちと飲む機会が数回あった。

現職もいれば、出産を機に退職、今はパート勤めや、専業主婦…と会う対象はその都度異なったが、概して皆、“人の話を聞かない”ので驚いた。

分かってほしい、聞いてほしい、そういうことが山積しているのだろうと、このおしゃべりの私を差し置いて()、枚挙にいとまなく話し続けるかつての同僚たちを少し痛々しく眺めたが、正直、話の中身は思い出せない。それほど、私には無為な中身だった。

 

誤解があっては困るが、だからと言って友人たちへの思いに何ら変化をきたしたわけではない。

むしろ、あのころは向う張ってガンガン働いていたヤツが「おばちゃんになったな~」と愛おしささえ思う。

ただ、どこかで冷めた自分が「オマエも同じだ」と鏡を見せているようで嫌気に襲われた。

 

あまりに乾いて干割れたスポンジは、いくら水をかけても弾いて吸い取れない。

アウトプットに明け暮れて枯渇すると、注いでもらった水を、肝心なところで吸い取れずに終わってしまうのではないか…、そんな風に思えたのだ。

 

少し繭の中に籠ろうと思う。(本当に引き籠るのではなく、精神的に…)

かつて大好きだった古き良き時代の映画鑑賞や、ミーハーなまでに愛してやまないバーグマンの写真や情報収集、大好きな写真家の作品を眺め、そして中東の撮影に明け暮れた頃に興味津々だった信仰世界の美意識など、いつからか“卒業”という詭弁で置き去ってきたものを、再収集することも含め、これからやりたいと思っていることの知識も乏しく、宙ぶらりんになっていることもあり、そういった準備のためにも、2013年はなんでも飲み込むアナコンダ(巨大蛇)の如く、貪欲に手当たり次第に“インプット”していこうと思っている。

それも、繭の中で…()

| | コメント (0)

Merry Christmas♡

http://www.youtube.com/watch?v=4fnpJKMGV-Q

今日は朝からこればっかり♪

Xmas_st_mary
1945_The Bells of St.Mary's (聖メリーの鐘)

| | コメント (0)

没後30年のオマージュ

だいぶ古い話だが、小3の夏休みも終わる830日のこと。

今や人生の大半を忘却の彼方へと押しやってしまった伯母に連れられて、私たち姉妹は生まれて初めての「宝塚」を観た。日比谷の東京宝塚劇場で上演された演目はアーネスト・ヘミングウェイの小説『誰が為に鐘は鳴る』だった。

同小説は1943年にイングリッド・バーグマンとゲーリー・クーパー主演で既に映画化されているが、テーマが重たい分、ショーマンシップに乗せるにはいささか難しい作品なのだろう、封切から半世紀以上経つ今日までリメイクもなく、舞台化はこの宝塚歌劇が世界初演だったそうだ。

1978当時のトップスターは鳳蘭と遥くらら。女性ばかりのミュージカル集団による世界初演とは、さすがのヘミングウェイも映画監督のサム・ウッドも、想像だにしなかったことだろう。

鳳蘭のロベルト役は本当にカッコよかったが、やはりバーグマンのマリア役を見てしまうと、遥くららはどうにも物足りない…。

幸い、私は宝塚を先に観たので、この主演二人が紡ぐ物語を素晴らしく美しいお芝居として眺めた。

 

さて、同じものを観た私たち姉妹であるが、面白いもので、その後ビックリするほど違った形で、この観劇を自身の嗜好と人生に反映させた。

姉は舞台芸術に魅了され、宝塚はもとより広くミュージカルやお芝居など演劇世界にのめり込んでいった。

もっとも、それは趣味の域で終わりを遂げ、今は娘にバレエを習わせたり、自身がバイラだのなんだの…とダンス通いするぐらいだ。

 

一方、私はというと『誰が為に鐘は鳴る』というストーリーに惹かれた。

スペインの内戦にアメリカ人が命を懸けた筋立て自体が良く解らなかったが、のちに義勇心に駆られて、この内戦に加担した若者は日本にも居たことを知る。極東からユーラシア南西端のイベリア半島に赴いてまでよその国の諍いに参加するとは、どんなパッションに突き動かされてのことだったのだろう…。

それほど人々の心を掻き立てたこの戦乱は、結果、ファシズムを生み、第二次世界大戦への序章となった。

ピカソは「ゲルニカ」を描き、ヘミングウェイは、このアメリカ人と薄幸なスペイン娘との33晩の切ない悲恋を執筆し、ロバート・キャパは戦争写真というカテゴリーで名を成すなど、不思議なことに、破壊の象徴たる戦争が限りなく不朽と言われる芸術の開花に寄与した。

 

こんな風に書くと、自分ばっかりカッコつけて…と姉に怒られそうだが()、当時小3である。私の関心事は、専ら同名映画への鑑賞欲に過ぎなかった。

レンタルビデオなどなかった当時、テレビ放映だけが頼みの綱…という実に当て所ない希求だったが、運の良いことに観劇後まもなくNHKが教育テレビで放送した。

 

この映画こそが、私を映像の世界へと突き動かした。

あ、ちなみに…私は実に“ませガキ”で、バーグマン演じるところのマリアが占領兵に乱暴され、髪を刈られ恥辱の限りを尽くされるという悲劇に遭いながらも、クーパー演じるロベルトに優しく愛され、「キスの時鼻がじゃなにならないの?」と尋ねる有名なシーンなども、ちゃんと理解して観ていたようだ。嫌なガキである()

For_whom_1943_w勿論、宝塚歌劇で筋は粗方知っていたし、悲恋に終わることも分かっていたが、それでも舞台と映画のディテールは全く違う。映画を見て泣くことは少ない方だが、途中からプンプン匂う悲恋の様相に、エンディングの折は涙していたと記憶している。

 

素晴らしく美しかったバーグマンと、テクニカラーの強烈な色、決してカラー番組が珍しかった時代に育ったわけでもないのに、舞台との対比だったがゆえに、映像の持つ説得力のようなものを強く意識したのだった。

そして、あれから34年間、変わることなく私はイングリッド・バーグマンのファンを自認している。

 

その後、映画狂になったことは言うまでもなく、「ムービー」で家にストックすることが難しかった当時、カセットテープに音声を録音し、映画雑誌や新聞の切り抜きといった「スチール」での鑑賞に耽る。

バーグマンを基軸に観尽くした映画は1940年代制作のものが最も多く、さらに深みへと進むように時代を遡り、チャップリンもキートンも超えて、ハリー・ラングダン(…といってご存知の方はどれだけ居るだろうか())を語れるほどだった。1960年以降の現代ものに食指が動かなかったため、ヌーベル・バーグに代表されるようなヨーロッパ映画への守備範囲は狭い。

そのうち、家庭用ビデオデッキが普及すると、有象無象、映画と名の付くものは片っ端から録画し観まくり、1ヶ月68本の鑑賞をピークに、鑑賞後記とお金が追い付かず、映画からの脱却となる。

それでも、役者がきちんと演技をし、色が無くても鮮やかさを意識できた、丁寧な作りの黄金期のハリウッド映画から学んだ“画作り”というのは、私が取り組んでいるスチールの世界でも大いに活きるものであった。

 

Ib_30years_anniversaryoautumn_son_2さて今年…、もう残り10日を切ってしまったが、2012年の内にどうしてもこんな話がしたかったのは、今年という年が、イングリッド・バーグマンの没後30年にあたるからだ。

これを記念して今、バーグマン最期の主演映画となった『秋のソナタ』がデジタルリマスター版として渋谷のユーロスペースで上映されている。(24日までかな…?)

昨日、諸々の用事を全てかなぐり捨てて、やっと観に行くことが出来た。

2012_12autumnsonata_digitalremaster学生時代にリバイバル館で『汚名』や『カサブランカ』を観て以来、20余年ぶりに眺める大スクリーンの中で生きて動くバーグマンは、役柄上、華美なメイクは一切なく、脂汗を浮かべながら薄汚い涙を流す。

いわゆるネグレクトだったことを今更娘に責められる冷血漢の老母を演じているが、それでもふとした片鱗に、あのマリアの美しさが見えてくるから素敵だった。

まぁ、没後30年のオマージュと題して、熱烈なファンの私が記せば、絶賛になるのは見え見えだが、その実、劇場内はガラガラで、これがヘップバーンやモンローなら、もう少し埋まるんだろうな~と思うと、どうもこのスカンジナビア出のクールビューティーは、日本人にとって敷居の高い女優なのだろう、さほど話題にもならないようだ。

3年の後、2015年には今度、生誕100年を迎える。その折にはもう少し、なにかメディアの露出が増えるなど、記念イベントがあればな…と願いつつ、一抹の侘しさを以て劇場を後にした…。

| | コメント (0)

«2012年が終わる前に…(笑)