「安芸の宮島」
この名を聞くと、子供の頃、日本三景の一つと教えられ、その音から“宮島は秋に訪れるべきところ”と、同音異義語のささやかな誤解をしたまま、大きくなったことを思い出す。
私の頭の中では「春の松島」、「夏の天橋立」、そして「秋の宮島」だったのである。
高校の修学旅行が、萩、津和野を中心とした中国地方だったことで、「安芸」と「秋」の誤解は修正に至ったが、長い間、その誤解は訂正できないままに来たコトが、我が事ながら誠に情けない。
さて、西条の酒祭りのあと、折角、広島までやってきたのだから、酒だけ飲んでとんぼ返り…というのも些かもったいない。
体育の日と絡めた三連休であったが、同行の友人が更に有給休暇をプラスしても構わないというので、宮島まで足を伸ばす事にしたのだった。
友人も高校時代の修学旅行は中国地方で、宮島は再訪になるが、私以上に“遥か昔”の事らしい(笑)。
一方、私の宮島訪問に至っては、本州から対岸の島を眺めて、「アレが厳島神社だよ」と車窓遠望。
果たしてちゃんと見えたのか、はたまた見えなかったのか…、今となっては定かではない鳥居を、いつの間にかちゃんと見たことに記憶をすり替えて、行った気になっていただけの、何ともお粗末なものだった。
そんな意味でも、お互いにもう一度見ておくべき時期に来ていたわけだ。
山陽本線で降り立った「宮島口」の駅は、さすが世界遺産の最寄り駅とあって、外国人観光客の姿が多く見られた。
かつての私たちがそうであったように、修学旅行生もゾロゾロ居て、ハイシーズンの人気観光地にやって来てしまった煩わしさを覚えた。
昼過ぎにフェリーで宮島へ渡ると、桟橋で島の案内図を貰ったが、それを取り出すまでも無く、人の流れに乗ってそぞろ歩けば、自然と「厳島神社」へと向かっていた。
島では、多くの野生鹿が出迎えてくれる。
厳島神社と弘法大師の開基といわれる弥山(みせん)からなる“聖地”宮島では、鹿を邪険にする人は誰も居ない。
鹿は、神道では神様の使いとされ、仏教では釈迦の初説法に座していた動物として珍重される。
初転法輪の地「サルナート」は、別名「鹿野苑(ロクヤオン)」といわれ、鹿の居る園、そのものである。
宮島で暮らす人々より、鹿の数が多くなるのは時間の問題だが、いずれにせよ、あちこちで紙くずを食べ、餌をねだって人について歩き、時に背後からシャツの裾をモグモグし、そこいらじゅうに糞が散っているので、聖獣と雖も、気分はドン引きであった。
誰が落としたのか、旅行のパンフレットをむさぼり食う鹿を眺めながら、≪あぁ~(;゚д゚)ァ….≫ と呆れていると、その背後の海上に真っ赤な大鳥居が見えた。
マメのような遠望とは大違いで、そのダイナミズムに心が躍った。



訪問時、丁度満潮だった事もあって、私たちの乗ってきたフェリーは、波で神社内部まで浸水させてしまう理由から大鳥居には近づけなかったが、小型の遊覧船や手漕ぎ船は、満潮時ならではの観光で、海から鳥居をくぐっていた。
そんな遊覧船の一つに、新郎新婦が乗っており、初の厳島参詣で遭遇した慶事に、得も言われぬ幸福感を覚えた。
〔写真左から:遊覧船と新郎新婦 / 厳島神社本社の御神体を賽銭箱から望む。御神体を背に振り返った大舞台。/ 東側の回廊屋根と五重塔。/ 太鼓橋と回廊の軒。〕

大鳥居もそうであるが、厳島神社の回廊も、これら建築物は地盤に杭など固定するものを何一つ打ち込んでいないという。
島自体が御神体であることから、その上に構造物を建設できなかった信仰心の深さが、この厳島神社を生んだのである。海上で鎮座し続ける回廊を歩きながら、信仰がもたらす技術の粋と、筏のように流れていかない摩訶不思議を思った。
〔写真左から:厳島神社東側の社と五重塔。満ち潮の回廊からの大鳥居眺望。 / 奉納の菰被りの酒。黄色い矢印が西条の酒です。〕
厳島が神道なら、宮島の最高峰535mの弥山(みせん)は仏教の聖地である。
神仏習合の思想で、いずれを排することなく共存し続け、表玄関に神様、奥の高みに仏様と、上手く棲み分けているものだ。ここには廃仏毀釈の荒波は押し寄せなかったのだろうか…。
弥山は、途中一箇所の中継点を経由して、ロープウェイが2本在り、終点の獅子岩駅を降りれば、山頂部に点在する弥山のパワースポットが、約1時間で見て回れると観光マップには書いてある。
しかし、そのロープウェイの終点は山頂からは程遠く、そこからしばし険しい傾斜をアップダウンせねばならなかった。〔ロープウェイ終点、獅子岩展望台からの眺め。多島美の絶景だそうですが、五島列島の海を見た後なので…。〕



弘法大師(空海)ゆかりの地には、必ず「消えない灯」といわれるものがある。
日本全国、修行場を求めて津々浦々を訪ね歩いたた空海は、かなりの拝火的信教の持ち主だったろうと思っているが、開祖空海といわれる此処、弥山にも、当然それは在り、1200年以上燃え続ける「消えずの灯」が祀られていた。
せめて、その霊火堂までは行きたいと、非体育会系の私たちは通常20分の登山道を40分かけて歩き、ようやく辿り着いたのだった。
ところが、狭い堂内に焚かれた無数の灯明と線香で、とてもじゃないが中では数秒しか目を開けていられない。
お堂の外まで、モウモウと煙が吹き出し、ともすれば警報機がなっても不思議は無い。
蝋燭の煤と煙に燻されて、這う這うの体で飛び出した私は、ついぞ「不滅の灯」を見るコトは出来なかった。
一方、友人はというと、この上また煙を出すのかい?と笑ったが、ちゃんと堂内で火をとり、線香を手向けて殊勝であった。
こういうところに、人それぞれの生き方の違いみたいなものを感じる。

結局、霊火堂から30段ほど上った三鬼堂までで、疲れ果てた私たちは弥山観光を止め、もと来た道を戻った。
いつも思うことだが、こういう観光地のロープウェイは、本当に料金が高い。決して楽できる訳でもないのに往復1800円。
まぁ、お布施をしたと思うことにして、宮島を後にした。
昼間、あれだけ水を湛えていた厳島神社は引き潮に足元を露にし、大鳥居も干潟の上に全容を見せていた。
この夜、ライトアップされた厳島神社を遊覧するナイトクルーズに出かけた。ホテルの宿泊客へのイベントで、桟橋まで行かずにホテルの敷地内から乗船できるのはありがたかった。
夕食後、ほろ酔いの上機嫌で乗り込んだ船は、昼間、新郎新婦を乗せていたあの龍頭船だった。

厳島神社の夜景は、聖地であることからショーアップするほどの光量は無く、ただ、闇夜に船が突っ込んでこないよう大鳥居を照らしているだけ…という感じ。
それでも再び満ち潮になった宮島で、大鳥居を船でくぐれたのは感無量であった。
ISO6400に2絞りオーバー…、数字上はISO25600相当の超高感度で撮影しても、遊覧船がエンジンを止めないので、やや光が流れてしまうような微弱なライトアップは、写真としては作品にならないが、幻想的で雅な印象は満点だった。
むしろ、あまりギラギラさせないこのままが望ましいと感じながらホテルへ戻った。
今回、“酒”の旅だったが故に、酔ってカメラを壊しても野暮だと、一眼カメラと交換レンズを持ち歩かない旅行をした。(勿論、宮島では持ち歩いたが…) それが、これほど楽な旅だとは思いもしなかった。
かつては体の一部とさえ思っていたカメラ機材だったが、日々、いかに“余計なひと荷物”を持ち歩いて旅しているのかを痛感。こういう風に感じるのも、つくづく体力が落ちたからだと、帰途、なにやら虚しささえ実感する広島紀行となった。
最近のコメント