個展最終日

3月11日~始まった写真展も、早いものであっという間の1週間。最終日を迎えました。

Dscf0178b日頃、ご無沙汰ばかりの不義理を尽くしているにも拘わらず、「この時を待っていた」との嬉しい言葉と共に、旧友、旅仲間、恩師等々、多くの方々がご来場くださいました。

本当にありがたいことです。

昨年来、関わり始めた日大芸術学部の先輩諸氏も、私が広報した以上に卒業生のネットワークで広めて下さって、存じ上げない方々もたくさんご来場くださいました。

≪なんか…、日大って凄い!≫  毎日、こんな感覚を覚えます。

そして、見ず知らずの後輩のために、温かいアドバイスとご感想を寄せてくれる先輩たちに感謝の念でいっぱいの日々です。

本日、ラスト1日が残っておりますが、既に気持ちの上では大満足。…というか、もう満腹。

こんな心境になるのは初めてですが、早くこの個展を終えて、次の制作のために動き出したい気分なのです。

さてさて、本日ラスト1日。

五島列島の風光明媚な景色と、多くの犠牲の上に今なお継承されているキリシタンの信仰心の片りんを垣間見て頂ければ…と思っています。

また気持ちが少し落ち着いたら、個展後記を記します。

それでは。

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個展間際だというのに!!!

唐突ですが…、

日曜には個展開催、週末には作品搬入だというのに、依然、額装作業が終了しません。

2、3日前から作業台はこんな状態。

当然、作品レイアウトも決まらず、これほど頭の中がまとまらない写真展も初めて。

Dscf0164正直テンパっています。

あ゛~マズイことになった…。

なんとか、頑張らねば。

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無為自然

三陸沖を震源とした東日本大震災から間もなく1年。

そんな三陸の海で、徐々に漁業活動が再開され始めているニュースも、ちらほら聞かれるようになった。

小さなコミュニティごとに復活を遂げる人々の「諦めない精神力」には甚だ頭の下がる思いでいるが、一方で、どんなに海を恨んでみても、結局、その牙を剥いた海にしがみつくしか産業のない、地方経済の悲しさを再認識させられる。そしてまた、そういう人々がいてくれなければ、日本の漁業が成り立たないことも痛感する。

ところが、そんな多くの命を飲み込んだ三陸の海が、今、空前の“恵みの海”に生まれ変わっているという。

元々、牡蠣やホヤなどの養殖を続けてきた海は、狭い一区域で量産させるため、その生物が出す大量の排せつ物で、海底はヘドロ状態…。綺麗に見えた東北の海も、その海底は窒息状態だったという。

数年前に聞いた話では、ホタテの養殖で有名な下北半島に抱かれた陸奥湾などは、ホタテが出す排せつ物で、海底は底なし沼状のヘドロ地帯だそうだ。

海難事故などがあれば、もはや遺体が浮いてくることなどないようで、潜水夫による捜索も、極めて視界が悪いことから、二次災害を恐れて深追いはしないとか…。遺族たちもそこは海に生きる者の定め。了解済みで、捜索中止もやむなしの覚悟はできているのだという。

外洋に面した三陸沖は、海水の入れ替えが少ない陸奥湾ほどでは無いにしろ、それでも養殖場というのは、案外、海を汚すものらしい。

そんな澱んだ海を、巨大津波が根こそぎシャッフルし、がれきの多くが沖合に流されて落ち着いた今、海は生まれたての純粋さを取り戻した。

そのお蔭で、これまで三年ほどかかって大きくした牡蠣やホヤ、ワカメまでもが、半年足らずで巨大化しているという。

規制の範囲内と雖も、それまで人の生活があった湾岸は、生活雑排や漁船から出る廃液等で海水汚染も少なからずあった事だろう。それが軒並み津波に流され失せてしまった今、とにかく東北の海は美しいのだ。

自然の脅威に泣きを見て、そののち、驚きの恵みがもたらされるとは、なんということだろうか。

中国の古い訓えに「無為自然」という言葉がある。方策も能書きも持たない自然の力こそが、この地球上で最大のバランスを保っているわけだ。

さて……、自然界に存自しない放射性物質(セシウム137やヨウ素131)をまき散らしてしまったこの始末は、一体、誰がどうやってつけると言うのだろうか。

自然のバランスに頼るには、あまりにも虫が良すぎる気がする。

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写真展のお知らせ

長らく休止していて、再び書き始めたかと思えば、いきなりの告知…sweat01

ちょっとご都合主義が過ぎますかね。

写真展のお知らせです。

Hpdm

しばし、このブログでも綴っていた「祈りの島めぐり、五島列島の旅」をテーマに発表します。

会期:2012年3月11日(日)~17日(土) 12:00~19:00[最終日17:00まで]

会場;銀座 ギャラリーGK 中央区銀座6-7-16第1岩月ビル1階 (並木通り沿い)

それにしても、昨年3/11は、銀座であの大震災に遭遇しました。

有楽町、東京駅と電車の情報を求めて歩きまわった揚句、電車の復旧が到底見込めないことを知り、4時間半かけて徒歩帰宅したのが、昨日の事のように思い出されます。

そんな震災からちょうど1周年の3月11日に個展オープニングを迎える不吉…(笑)

いやいや、快い印象に変えたい一日で皆様のご来場をお待ちしております。

初日は夕方から(5時ごろになるでしょうか…)、簡単なオープニングパーティーもやります。

よろしければ、冷やかしに来てください。

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長らく休止しました。

『すとろんぼりの独り言』が休止して早1年…。光陰矢のごとし、あっという間でした。それにしても、あまりの休止期間に驚いております。

時折アクセス下さった方々から「どうした?」の声を頂くこともありましたが、ついにアクセス数ゼロ日が続くようになり、更新しないブログの凋落を感じております。と、同時に、維持継続の難しさを思い知らされます。

HPの更新もすっかり止まってしまっていますが、こちらはHP構築ソフトの入れ替え後、どうにも上手くいきません。

やっぱり“ビルダー”に戻そうかな…と悪戦苦闘の日々です。能力以上のソフトを持ってみても、まさに豚に真珠ですな…(*。*;

そうはいっても、またボツボツ再開します。

偶然これをご覧になった方々、また、たまぁ~に覗いてみてください。

ひとまず、ぼんやりしたご挨拶で…。

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知ってたでしょ?!

今、“八百長騒動”が相撲界を震撼させている。

ついに、春の大阪場所は「開催中止」という事態になり、国技として、神国日本の神事として、連綿と続いてきたその歴史に大いなる汚点を残してしまった。

個人的には、戦時中や占領下といった国家の有事でもない今の時代に、その歴史を断ち切ってまでの“春場所中止”は行き過ぎの感を覚えるが、度重なる不祥事で世論とメディアの風潮が許さないのか、相撲協会も過剰反応せずにはいられなかったのだろう。本当に残念で仕方がない。

何しろ、こんなイカサマ相撲を繰り返したのが、その四股名の認知も浅い、下っ端力士ばかりだからだ。

(調査次第では大物力士の名前も浮上するかもしれないが…汗!!)、言葉は悪いが、「こんな雑魚のせいで…」という思いが拭えないのである。

尤も、このまま春場所を敢行すれば、再び天皇賜杯の無い場所になってしまうだろう。

歴代トップの7連覇を目指す横綱・白鵬に、虚しい優勝を再び味わわせるのは酷である。日本人として、日本の伝統文化を支えてくれている角界の“孝行息子”に、何度も涙の表彰式を味わわせてはなるまいと思うと、やはり止む無しの顛末なのだろう…。

ところで、これだけトラブル続きの相撲界では、関係者とやらは全くもって食いっぱぐれが無いもので、八百長相撲の発覚以降、テレビには「元力士」とか「元おかみさん」らに並んで、東京相撲記者クラブの“会友”なる御仁が、連日のように雁首揃えて出演、気色ばんで「綱紀粛正」とか「ファンへの背信行為」などと声高に叫んでいる。

この人たち、相撲を見続けて40年とか、50年なんて紹介を受けているが、確かに、相撲中継でも“砂被り”や“後援会席”でその顔が映し出される事も少なくない。そんな間近で、年がら年中、相撲を見続けて、どうして、この八百長を今まで一度も指摘しなかったのだろうか?

本気で「気付かなかった」と言えるのだろうか?

私は、とってもへそ曲がりなので、この騒動の本質よりも、実に、この会友の爺さま連の“節穴ぶり”が不思議で仕方がない。

星取表を片手に、テレビでガッツリ観戦の私にだって、時に、その“出来レース”は画面を通してなんとなく分かるというのに、“会友”御仁が今更、高潔ぶって当事者を糾弾するから噛み付きたくなる。

本当は、日常的に八百長があったことを知っていたんでしょ?」と。

彼らも少しはその辺に気付き始めたのだろうか、騒動勃発当初よりトーンダウンしてきたのが滑稽である。

さて、日曜のニュース番組で、スポーツ評論家が御尤もなことを言った。

相撲は、「1に神事であり、2に興行であり、3にスポーツなのだ」と。

つまり、興行的要素を含む限り、ショウアップされる部分は何処かしら存在するのは当たり前。全てをスポーツ的要素で白黒つけることは、相撲の歴史と認識が浅い証だというのだ。

こうも言った。

「力士というのは、10代の頃から同じ釜の飯を食い、時に部屋が違っても、出稽古で部屋の垣根を越えて共に苦しい稽古を積んできた同胞感がある。<アイツ、あと星一つで陥落しちゃうな…>と思えば、情が甘い取り組みを無意識に生んでしまうこともある」…と。

それをこの評論家は「人情相撲」と称したが、確かに、勝ち越し力士VS勝ち越し瀬戸際力士の取り組みでは、後者の勝率が異常に高いそうだ。正に、“人情”が勝った一番なのだろう。

これらを全て「八百長」と呼んで糾弾したら、相撲はもはやボクシングやレスリングと変わらなくなってしまう。

神話を読めば、神様だって随分、整合性の無いえこひいきをするものだ。情に絆されて、「臭いなぁ~この取り組み…」ってのが有ったっていいように思う。

奇しくも石原都知事が「騙されて見ていりゃイイじゃないか」と言った。σ(-“-) ワラヒは、あの人、大嫌いだが、何処と無く、この発言には同調してしまう。

尤も、金銭で星が売買されているのは論外。そんな連中は、これを機に朝青龍宜しく、トットト消えてもらって結構。

冒頭言ったように、所詮「雑魚力士」で、強くなれなければ、角界にその名を残すのも、こんな汚点でしかない情けない連中だろう。

ただ、今回の八百長騒動の過熱ぶりに、なんとなく、日本全体が“さじ加減”と言うのを失ったようで怖い。

この大騒ぎに煽られての春場所中止の顛末に、「何を今更…。みんな知ってたでしょ?」と、ちょっと言わずにはいられなくなってしまった…(^^

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ジャスミンの火の粉

今から20余年前、私たちはベルリンの壁の崩壊に始まる「東西冷戦」の終焉を見た。

自分の人生の、オンタイムに起こりうるこれほどの歴史的変革もあるまい…と思っていたが、今再び、中東アラブ諸国の政変を目の当たりにする事となり、正直、その発端がチュニジアだった事に驚いている。

チュニジアを代表する花になぞらえ、今回の政変劇の民衆蜂起を“ジャスミン革命”と呼ぶようだ。

これがセンセーショナルに伝えられたばかりだというのに、このジャスミンの火の粉が、同じ北アフリカの大国、エジプトに飛び火、ムバラク政権までもを崩壊させてしまった。

世襲で次期大統領の座を目論んでいたムバラクの息子は、既に家族を連れてロンドンへと亡命したという。ムバラク大統領自身が、どのタイミングでエジプトを離れるのか…、今はその時期だけが注目されるところだ。

比較的、政治も経済も、そして治安も安定していると思われたチュニジアで始まったこのアラブの胎動は、長期政権を仕切った「独裁者の存在」や「貧富の差」、「民主化の遅れ」という言葉で専ら説明されているが、根底にはもっと別の“アラブ人の鬱積”、つまり、米国とイスラエルの存在が大きいのではないだろうか。

こう言うと、“君はすぐパレスチナ問題と結び付けたがる”と批判も出そうだが…(笑)、

事実、ジャスミン革命の火の粉が舞って、着火したのが隣国のリビアではなく、一つ先のエジプトだった事が何よりの証だろう。条件的には独裁者(カダフィ)による40余年の長期政権、民主化の遅れという点では、リビアだって圏外では無かったはずだ。

しかし、その火の手の勢いは、シナイ半島を越えてヨルダン、シリア、更にはアラビア半島の枢軸国サウジアラビア、突端のイエメンへと燃え広がっている。

これらの国の共通点がお分かりだろうか。

いずれも親米派であり、中東に在りながらイスラエルをそれなりに認めてきた国々なのだ。

勿論、民衆蜂起の直接の原因は、経済的困窮だろう。

政治を掌る連中だけが豊かで、入り込んでくる欧米人だけが高給取りで、国民が蔑ろにされている。「そんな政府じゃダメだ」、「もう、ウンザリだ!」という不満の爆発だ。

しかし、その国民軽視の元凶を手繰ると、そこにはアメリカのイスラエル支援があり、地下資源確保のエゴがあり、アメリカが(勝手に)決めた、悪の枢軸国への軍事的牽制が見え隠れする。それに振り回された独裁者の、米国傀儡政治への慢性的な鬱積だというのである。

今はまだ、「ムバラク辞任、追放」の掛け声で済んでいるエジプトだが、実際に退いた後、軍部やイスラム同胞団が上手に次政権を担わなければ、星条旗を燃す輩が暴徒化するのは時間の問題かもしれない。

ところで、今回“ジャスミン”の火の粉を被った国々で、最も鬱憤を貯め込んでいる貧困層を支え続けてきたのは、実はイスラム教組織なのである。

エジプトで言えば、前出の最大野党「イスラム同胞団」だ。これはエジプト発祥のイスラム教互助組織で、中東全土に拠点を持つ、歴史ある宗教政党である。

シリアでは「ハマス」。時折、イスラム教“過激派”という表現をされるが、その実、シリア国民の、とりわけ最下層に位置する困窮者へ食料を配布し、学校や病院を創り、支援を続けているのである。

レバノンで勢力を持った「ヒズボラ」もまた、シーア派のイスラム教組織で、数年前からイスラエルと一戦交えているが、ハマス同様の活動を貧困層に行っている。

こうした組織の活動資金の出所が、イランのオイルマネーだといわれている。

これまで、親米・イスラエル容認派だった国々の政権転覆が完遂すると、中東全域にイスラム教色の強い新政権が樹立、それは必然、大局で親イラン派の増大を意味する。

既に米軍撤退後のイラクでは、イランと同じシーア派が政権を握り、混沌の中に在るアフガニスタンも、米国傀儡のカルザイ大統領の指導力は無く、親イラン派が勢力を持ち始めている。

EU加盟が見込めないトルコまでもが最近、共通のクルド人問題を抱えるイランと親密になっていることを鑑みると、もはや、スンニ派とシーア派の宗派間対立は色褪せ、そんな抗争で中東諸国の分断を目論んだ米国の思惑とは裏腹に、インドネシアから中東全域、北アフリカはモロッコまで連なる、「排米主義・アラブイスラム教ベルト」が完成するのである。

あ、これはσ(^_^;) ワラヒが勝手に名付けたものだが…(笑)、この「排米・アラブイスラム教ベルト」の、ど真ん中に位置するのが“イスラエル”である。

孤立のイスラエルと、強化したアラブイスラム社会、再び「中東の火薬庫」が開いてしまうのだろうか…。

イランの存在感が増すにつれ、もう一つ厄介な「上海協力機構()」の存在も見え隠れし、このジャスミン革命はアラブの胎動だけでは終わらない気がする…。

※上海協力機構…中・ロを中心としたユーラシアの超大国とカザフ、キルギス、タジク、ウズベクから成る経済・資源・軍事の包括的協力機構。モンゴル、インド、パキスタン、イランがオブザーバー参加、アフガンが客員参加、その他、ベラルーシ、スリランカがパートナー参加、トルクメニスタンが加盟申請中など、ユーラシア大陸全域を覆う勢いの一大勢力になりつつある。特色としては、アメリカの関与を毛嫌う国の集いのため、日本と韓国は全くの黙殺状態にある。

過去に数回にわたってこの機構の事を記しているので、ご興味のある方はどうぞ。

http://stromboli-hitori.air-nifty.com/essay/2006/05/1_2e1d.html

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「頑張る」復権

ここ数年、「頑張る」という言葉が嫌われて久しい。

様々な面で、気軽に他者を元気付ける、または発破を掛ける言葉として誰もが多用していた筈なのに、いつしかそれが、癌や鬱病などで苦しむ人々から、「こんなに頑張っているのに、まだ頑張れというのか?」と重荷に受け止められるようになり、不評を買った。

病気以外でも、介護疲れや就職難、生活苦など、社会や時代、景気に翻弄され、どうにも立ち行かない現状を抱える人々が、「もう頑張れと言わないで」と拒絶したのである。

地方で開業されている一人の医師が、「頑張らなくていいんだよ」なんて、ゆる~いことを言い、“癒し”とかなんとか…、メディアにもてはやされた事も後押しになって、「頑張れ」は今、ひたすらに悪者となってしまった。

でも、実際に他者へ「頑張れ」と声を掛けた人で、“今がダメ”と全否定したり、“今以上にもっと、もっと!”とけしかける人は殆ど居ないだろう。

冒頭述べたように、本当に気軽に、挨拶が「ど~も」で始まるように、〆の言葉が「頑張ってね」だっただけだ。

それを無責任な…と咎める人も有るかもしれないが、何となくポジティブな落としどころで結べる「頑張って」は、非常に便利な言葉だったのである。

それが失われた今、「頑張る」に取って代わる言葉も無く、テレビで見た何かの決起会で、「一生懸命、前向きに、やろう!」と声を上げているのを見た。

「一生懸命」、「前向き」って、アンタ…、こっちの方がよっぽどシンドイわ。

尤も、真剣に頑張って欲しくて、「頑張れ」の言葉をかけ続けたこともある。

それも、当人は命がけで、これ以上できない努力をしていたにも拘らず、末期癌の病床の母に、私は最後の最期まで「頑張って」と声を掛け続けていた。

声を掛けなければ、そこで呼吸する事を止めてしまいそうだったわけで、「頑張って吸って」、「頑張って吐いて」と言い続けたのだ。そんな言葉のリズムに合わせて、母も息を吸い、吐き出しもした。

まぁ…、当人の意識にその言葉が届いていたか、また、それをうるさいと思っていたかどうかも分からないが、一番近くで看取る者たちが、端っから諦めて“もう、頑張らなくていいんだよ”なんて、「頑張れ」の言葉を止めたら、死に逝く者が寂し過ぎるではないか…と思うのだ。

こういった究極的なシーンは別としても、精神力全般に萎えている人、苦境にある人、はたまた超停滞期に落ち込んでしまった人に、きっと、もっといい“次”があるさ!という意味を込めて、「頑張ろう」、「頑張ってね」と言うのは、むしろ優しい言葉ではないだろうか?

…と、多くの賛同が欲しくてこんな事を綴っているのではない。マイノリティーであっても、私は「頑張る」という言葉は嫌いじゃない。

そこで、2011年の冒頭にあたり、今年の我がスローガンを「今よりも出来るだけ“頑張る”」とした。

「頑張る」というのは、詰まるところ、尺度は自分。一生懸命だの、前向きに、なんて命がけの方向性まで限定されるぐらいなら、自分尺度で「頑張る」のが一番いい。

「頑張る」復権である。

そんな“頑張り”の手始めは、1/21から大崎のO美術館で開催される『夢のイストワール展』だ。

絵描きを中心にした作家集団60名による作品展で、60分の1として私も写真3点を出品する。昨年、創作活動の一切を停滞させていた身に、このスタートは実に丁度いい。

「頑張る」とは、こういうことで良いはずである。

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ヴァイオリニストの言葉

“写真を撮る”行為を休止してもう何ヶ月にもなる。写真家を名乗っている以上、写真を撮らなくては話にならないのだが、単にボタン(シャッター)を押すだけの作業であっても、私の中では一応、ゼロから形にしていくモノ創りだ。大いなる精神力が必要になる。

何かを生み出す時、自らの精神が弱っていると、創り出されたモノも自ずと脆い。

作家自身が脆さを覚える作品に、鑑賞者へ及ぼすシンパシーなど有る筈もなく、結果、駄作の羅列になるのが分かっているので、今は愛犬にシャッターを切ることはあっても、はたまた、ミクシィのブログに載せる手料理を撮影する事はあっても、個展に対応する作品を撮ることはしていない。

2010年もあとひと月余りとなって、さすがに言われる事は無くなったが、夏ごろまではよく、事あるごとに訊かれた「今年は個展をやりますか?」の問いが、正直苦しかった。

「やらない」と言えない、負けず嫌いの自分が顔を出すからで…って、一体誰に対する“負け”なのかも分からないまま「どうしましょうか」と笑ってお茶を濁してきた。

ガラッと話は変わるが、大好きな演奏家に、ヴァイオリニストの堀米ゆず子さんが居る。日本人として初めてベルギーのエリザベート王妃国際コンクールで優勝した世界的ヴァイオリニストだ。

勿論、面識も無く、私が一方的にファンというだけだが、唯一の接点は14年前。

リサイタルで、知人の息子さん(ピアニストの若林顕氏)が伴奏をつとめたので、色紙をお願いしてサインを貰ったのだ。

その若林さんも今や日本を代表するピアニストで、よくもまぁ、「若林さんのではなく、堀米さんの」と言ってサインをねだったものだ。

一枚の色紙に、お二人のサインが記されて、今はこの上ない“お宝”となっているが、恋は盲目ならぬ、ファンの失礼を思うと、何とも赤面ものだ。

さて、これほど憧れた堀米さんは、当然、ジャンルも違えば、そのグレードも高み過ぎて、今やご自身の演奏会も然ることながら、欧米各国の権威ある音楽コンクールの審査員を務め、ベルギー在住、かの国の音大で教鞭をとる指導者になり、もはや我が心のうちでは至高の存在である。

そんな彼女のホームページで、時々更新されるブログを読むのが、私の心のビタミン剤となっている。

ゼロからモノを創り出す究極の「音の世界」を紡いでいるヴァイオリニストの言葉は、一つ一つがいつも深いのである。

業界の違いから、実際にはどういうことなのか分からない内容や、専門用語も時々あって、100%の理解は望むらくもないが、それでも話の趣旨が痛いほど伝わるのは、それこそ音感の良さみたいな、感性の高い人から吐き出される言葉だからで、どこかメロディを感じる文体が言語理解とはかけ離れたところで、心に沁みる。

直近のブログ『ソリスト』では、会場に赴き、持てる能力をフルに発揮して結果を出す演奏家の、コンサートまでの練習と胸のうちを“ソリストの条件”を骨格に綴っているが、その生き様と精神性は、写真家のそれとあまり大差ない事に気付かされる。

とりわけ、世界中を巡る演奏家の旅は、撮影と旅がイコールの私にとって同じ精神性を覚える。

紡ぐそばから消え行く音楽もまた、二度と同じ瞬間を捕まえれらない一瞬を切り取る撮影の瞬発力にも似て、いつもジャンルが違う事を忘れさせてくれるのだ。

もう一つ、ヴァイオリニストの彼女の言葉が、とりわけ気持ちの萎えている今の私に響いてくるのは、演奏家というのが、他人の作品を奏でるコピー性の芸術だからかもしれない。

「コピー」と言うと大概の芸術家はアレルギー反応を示すが、それでも作曲家の創造性に対し、演奏は誰が弾いても♪ソは「ソ」でしかなく、また勝手にリズムを変えることも出来ない。変えてしまえばそれは「編曲」の認識になろう。

「第一楽章は45分で…」などと演奏速度まで支配している作曲家も居て、演奏家には“既に在るモノ()”を忠実に再現する事が求められているわけだ。

曲への独自解釈や作曲家の思いを汲み、演奏技法を駆使して膨らませるのが精一杯の演奏家の恣意性とでも言おうか…。

同様に写真家もまた、機械の目が捉えた“既存の光景”を写し取るだけである。どこをどう切り取るか、それだけが、最大にして唯一の写真家に許された恣意性で、不要だと思うモノは描かなければイイ、はたまた心象と称して加筆しても構わない、実際とは違う色を塗ってもいい絵画とは大きく一線を画す。同様に、時間とバーバル(言語活動)を持つムービーもまた、全くの別物だ。

平面的なビジュアル表現やフィルム使用といったもの同士、パッと目には絵画やムービーの方が近い印象を受けるが、創り手の恣意的な要素を織り込む余地の少ない写真の世界観は、実は“ソリスト”の世界観と近いのだ。

堀米さんのブログの終わりに、彼女が敬愛する大演奏家、ヤッシャ・ハイフェッツの「ソリストの条件」が記されていた。

【1】闘牛士のような勇気があること
【2】バレリーナのような繊細さがあること
【3】夜のバーを経営するマダムのような忍耐力をもっていること

これを読んでビックリした。

予てより、撮影の基本姿勢に「被写体に一歩近づく“勇気”、好機到来を待つ“忍耐”」を掲げてきたからだ。

堀米さんはソリストの条件に【常に音楽の中に夢を見出す事のできる人】と言っている。

“夢”といわれると些か重たいが、“好き”に置き換えれば、私もまだまだ写真への愛情は失っていない。

 

何故、20年来もこのヴァイオリニストが好きだったのか?

最近、彼女の言質に触れ、単に演奏の素晴らしさではなく、ソリストとしての姿勢に自らの撮影スタイルを投影していたからなのかもしれない。

久々にCDを聴きながら、失いかけていた創作意欲が今、ジワジワと充電されつつあるのを感じている。

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エポケー(判断停止)のススメ

またしばらく、この『独り言』の更新が途絶えてしまいました。m( __ __ )m ペコリ

この休筆期間、時事的には話題がいろいろありまして、取り上げてみては下書きをし、一夜明けては訂正し…と、刻々変化する情報に振り回され、書き直している内に旬でなくなったネタが二つ。

結論が変わってしまったモノが一つ。

書いていて、嫌気が差したモノが一つ…といった具合で、ついぞ更新できず…でした。

猫の目のようにクルクル変わる昨今の潮流、テレビなどでは多くの論客が、評論ではなく、下馬評と放言に終わり、全く事実と異なる発言をしていても、誰ひとり、自分の意見の責任を取りません。

一般人が得にくい、メディアの中に居る人ならではのニュースソースも有れば、世界各国の論調も調べられる筈…。が、それらを収集し、租借して解析してくれる人は皆無です。

テレビに出ている“プロ”でさえ、場当たり的な適当評論をしている今、私如きのブログが然程慎重になることも無いのですが、日本のマスコミが報じない内容まで追いかけて調べていると、時事ネタが時事でなくなってしまうわけです。

もっと言えば、論客気取りで私がそんな事をやる必要も無いので、時事ネタを追いかけるのは止めて…と思ったら、書くコトがなくなってしまったのです。

(;゚д゚)…. ありゃまっ!

心理学用語(?!)に、「エポケー」という言葉があります。訳せば“判断停止”。

精神的に悩み多き人の話を、“ただ聞いてあげる”に徹するコミュニケーション術で、相談者の抱える事案に対して、「ああしたらいい」、「こうしたらいい」といったアドバイスを絶対にしない、というものです。

日本語教師の勉強をしたときに、留学生の精神的負担に対応する教師の態度として学習しました。

今、世間全体に、このエポケーの状態が必要なのではないでしょうか?

尖閣諸島や北方領土の中ロ対応にしても、昨年以上に厳しい就職氷河期にしても、はたまた、横綱の連勝記録更新の話題にしても、先へ、先へと報道しまくって、大騒ぎはするものの、何一つ方策も無ければ、結果も付いてこない。

時に浅ましく、ゴルフ青年の稼ぎまで先読みして「賞金王」になるかならないかを憶測で語る。人の稼ぎなんかどうでもいいじゃないか!と思うのですが、いつから日本人は、公に人の財布の中まで覗き見ることを平気でやるようになったのでしょう。

終いまで話を聞かずに大慌てするバカの集団みたいな、日々の報告(報道)を見るに付け、お願いだから“結果”だけを教えてくれ…と思う今日この頃です。

それじゃ、ダメなんでしょうかね?

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B級グルメ

先日、知人から、味覚のギフトが届いた。

嬉しく荷解きをすると、中から出てきたのは秋田県横手市の新名物、「横手の焼きそば」だった。

「仕事でたくさん手に入れるコトが出来たのでお裾分けです」との事。いつも、何かと寄せてくれるお気遣いに感謝しつつ、如何せん、初めて貰う“焼きそばギフト”に、文字通り面食らっていた。

これ、近年やたらとブームの“B級グルメ”だそうだ。

全国の隠れた味を品評するB級グルメ大会で、昨年優勝したという。

Imgp4666早速に父と有り難く頂いた。

日曜の昼に、家族でむさぼるには充分なボリュームで、味も、マンネリ化する家庭の味に新風を吹き込み面白かったが、レシピに忠実に作ってみても、やはりB級グルメ…、味は“B級の域”を出ない。

これが、昨年の“グランプリ”とは、日本人の味覚が落ちたのか、それとも、こういう絶対一流になれないものを敢えて推す仕組みなのか、とても微妙なシロモノだった。

しかしながら、横手では町を挙げて、この焼きそばを名物にしようと意気込んでいるらしい。同梱された折り込みチラシからもその熱意が感じられた。

こうした地域経済活性化の起爆剤にグルメを持ってくるのは、余程手っ取り早いのだろう。今、日本全国、“B級”を冠した食品がいたるところで目に付く。

尤も、マスコミが煽っている部分は大きいが、それでも、長距離バスなどに乗ると、必ず立ち寄るインターチェンジや道の駅で、“B級”の土産物が幅を利かせているのには驚く。これらをギフトとして、または、これから訪ねるお宅への土産に買うのは、私にはどうにも違和感を覚える。

なにしろ、はなっから「B級」と謳っているのだ。自信を持って「お土産です」とは差し出しにくい。

勿論、私も果物などは、少々顔が悪く、不揃いの2級、3級品でも、はたまたBランク、Cランクと謳っていても、味に遜色がなければ“自宅用”に送る事は間々ある。

それをご近所にお裾分けするコトもあるので、大口は叩けないが、それでもやはり、B級はあくまでも内向きギフト。贈答や土産で“外”に差し上げるとなると、やはり「2級」、「B級」と記されたものは躊躇うと言うわけだ。

更に穿ったものの見方をすれば、「B級を送っても構わない相手」とみなされた、またはみなした…、そんな不協和音を生みかねない。

それが今、平然と「B級グルメ」と銘打って商品棚にB級品が並び、土産やギフトのニーズを底上げしていると言うから、世の中はつくづく変わったと思わざるを得ない。

誤解されては困るが、B級グルメを贈ってくれた知人批判をしているのではない。何しろ、送り主の事はどういう人物かよく分かっているので、いわば“内側”の存在だ。

恐らく、話の種に面白がって送ってくれたのだろう。

このギフトをきっかけに、今、公然と市民権を得たB級グルメという呼び名に再考が必要なのでは?と思ったのである。

如何に優勝アイテムと雖もB級グルメ大会の優勝は、すなわち、二流のトップと言う事。

それこそ「2番じゃダメなんですか?」と言った大臣も、後に一番である事の重要性を認識したように、贈答ニーズまで含めて、地域の活性化を目論むなら、「ご当地一番グルメ」とか、「ご当地、味一番」など、やはり「1番」の文字を打って欲しい。

勿論、内容も伴っての、真の一番でなければ困るが…と、三流の私が生意気言うのも実におこがましい本日の『独り言』でした。  チャンチャン♪

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日本の夏

朝晩、肌寒さを覚えるようになった今日この頃、

9月一杯続いた猛烈な残暑に、日本にはもう“秋”は訪れないのではないか…、そんな不安感さえ覚えたが、ようやくの秋に、今、少しホッとしている。

「日本の夏」と言えば、蚊取り線香に花火大会、恋の季節と海水浴、夏祭りに旅行、「サザンだ、チューブだ」と風物詩のような歌手まで登場し、長期休暇の国外脱出組で成田は沸きかえり、帰省ラッシュに道路は大渋滞を起こす。

「夏」というだけで、その陽気と日照時間の長さから、とかく開放的で明るい印象に満ちる季節だ。

少し前まで、私は夏をそう思っていた。

しかし、今年…。余りの酷暑にいつにも増して“巣篭もり”で過ごしながら、ふと思った。

「日本の夏」は意外に“悲しい”と…。

夏、各種メディアのトップを飾る情報の多くが、実は思いがけないほど、“涙”に彩られていた。

その最たるものが「戦争」であろう。

86日の広島原爆投下、9日が長崎、そして815日の終戦記念日。

日本史上、最後の戦争となった第二次世界大戦は、経年の如何に関わらず、後に塗り替える記憶がない事から、戦争における“最新の記憶”である。それが「敗戦の夏」である限り、日本国民共有の夏の記憶は“敗北”と無益な諍いに散った人々への“悼み”しかない。

夏が日本にとって手放しに明るい季節でないのは、多分にこの敗戦の記憶が影響しているのだろう。

また、原爆と終戦記念日の狭間に、“御巣鷹”の言葉に象徴される史上最悪の飛行機事故、日航機墜落事故が入る。

東京-大阪間という大都市を結んだが故の未曾有の大惨事に、断ち切られた犠牲者の人生と、遺族のその後を思うと、無関係と雖も、胸を詰まらせずには居られない。

こうした惨事に私が注意を向けるようになったのは、夏休みの自由研究で作った「スクラップブック」に端を発している。

昭和55年、夏休みの富士山を落石事故が襲った。巨大岩の落下に十数名が命を落としたのだ。が、その報道も冷めやらぬ内に、今度は静岡駅の地下街で大爆発が起きた。

爆発は時間差で2度。最初の事故で駆けつけていた消防・警察署員が多数犠牲になり、役目に散った命の多さが一層涙を誘った。

惨事の続いたこの夏、新宿駅西口でバスが放火される事件も起きた。

野球観戦帰りの親子が最後部の座席で焼死。観戦ゲームが巨人戦だったことから、王選手がサインボールを亡くなった子の葬儀に贈ったコトが話題になっていたが、私の心には、たまたま仕事帰りに子供の運動靴を買いに新宿に寄った、母子家庭の母親が死んだという方が、遥かに痛い記憶として残った。

母を失って、残された子はどうするんだろう…、当時5年生だった自らを投影して、恐ろしく不安になったことを今でも思い出す。

あまり報道されなかったが、この放火犯は獄中で自殺した。誰にとってもやるせない夏の記憶だ。

趣向の異なる“夏の涙”と言えば、高校野球もまた、ドラマと称される涙がつきものである。

アッケラカーンとした青春の、「スポーツ」という言葉の持つ爽やかな華やぎとは違う、敗退校のお涙頂戴は、悲しみの涙ではないが、甲子園の重要な感動要素の一つであろう。

とりわけ今夏は、沖縄に深紅の大優勝旗が渡った事で、戦後65年と絡めて特別なモノになった。

世相・世間と切り離し、個々に夏を思っても、“お盆”は故人の里帰りだし、その時季に合せたようにやってくる親族もまた、“墓参り”や故人に“線香をあげる”事から始まり、どこか哀惜の念が帯びる。

個々の世界と言えば、あまりに孤立しすぎた悲しみも、今年は酷暑がゆえに際立っていた。

老人の熱中症と孤独死である。更には所在不明の高齢者が相次いで発覚し、時に家族が同居しながら、その存在を完全に“無視”できる惨めなまでの無関心に、人の心の荒んだ寂しさを覚える夏でもあった。

さんざめくような陽射しの煌きとは裏腹に、とりわけ悲しみ漂う季節に思えて仕方なかった「日本の夏」がようやく終わった。

本来、物憂く、侘しいはずの秋。そんな秋の深まりが、なぜか今、安堵を誘う。これもまた異常気象がもたらす「歪み」なのだろうか。

草木の繁茂に活力を覚えた、かつての夏が恋しい秋の夜長である。

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情けと幻想を棄てて…

以前、「国土消滅?!」と題して対中関係の話をしたら、想いの外反響が多くて、良くも悪くも隣国中国には関心が高い事を再認識した。

ましてや今、尖閣諸島をめぐるいざこざの火が、かの国の“反日・抗日”デモをよんでいる。

≪まぁ、勝手に騒げ…≫というのが、正直な私の心境で、こういう民衆蜂起を最も恐れているのは、槍玉に上がっている日本自身ではなく、案外、中国当局だったりする。

既に多くの評論がしているように、東の台湾、西の新疆ウイグル、チベットという“内憂”を抱える中国で、“外患”の尖閣諸島問題に端を発した暴動が、津波のように国内問題へと揺り戻してしまうのが一番面倒臭いのだろう。

“日本、憎し”だった筈が、いつしか誰を相手の発散だったのか分からなくなり、日常的に経済的、社会的抑圧に喘ぐ下層貧困民が、矛先を中国共産党そのものに向けかねないのである。

 

私の父親世代は、日の丸を踏みつけたり、焼いたりするニュース映像にすぐ反応して、不快感を露わにするが、経済市場の大きさから、昨今、些か調子に乗りすぎている中国が、真に国際社会の一員となって協調を学ぶためには、膿は出し切った方がイイと思っている私としては、先にも記したとおり、≪暴れろ、暴れろ≫と言う感じだ。

 

まぁ、あちらの内憂はともかく、今年、中国に収監されていた邦人死刑囚が三人、刑の執行を受けたのをご記憶だろうか。

中国政府は何年も収監したままになっていた邦人死刑囚を、まず一人「刑を執行する」と日本政府に伝えてきて、反応を窺った。

日本政府は「誠に遺憾」の言葉を、バカの一つ覚えのように発したものの、現実的な抗議は一切せず、内政干渉のそしりを受けたくない思いからか静観を決め込んでしまった。

結果、「日本政府は日本人(囚人)をどうしようと、何も言ってこない」、そういう既成事実を作ってしまい、残りの死刑囚二人も、後にあっさり処刑されてしまった。

 

これは、かの国を語る上で最も顕著な出来事だったろう。

中国という国は、いつでも“まず、ちょっとだけやってみる”のである。いわば、パッチテストだ。

その結果、アレルギー反応がなければ、一気にワッとやってしまう。

 

混雑した空港で、弱弱しい小さな老婆を一人、行列の前に入れてあげたら大挙して割り込まれたコトがある。

「一人も入れちゃダメ!」と添乗員に酷く怒られたが、“ちょっとだけ”で済まないのが中国なのだ。

こんな思いは、旅の最中に時々経験している。

食事一つとっても、たった一包みの餃子が30種類も40種類も後から後から出てきて、結局、最後まで食べきれない「餃子宴」なるものがある。食べ物だから例えづらいが、一事が万事、ちょっとが大挙になるのが「中国方式」というコトだ。

 

東シナ海のガス田も、最初は領海ギリギリのところで≪なにやら船が増えたなぁ~≫ぐらいの話だった。

そのうち、≪あれ、何の調査だ?≫となり、ある朝いきなり掘削台が建設されたのである。

こうして、隣から人のコップにストローを突っ込んでチューチュー吸い上げるような資源強奪を平気でやる。

 

過去に、何度もこの手で世界中がやられているというのに、再び尖閣諸島で、日本政府は同じ轍を踏んだ。

今回の漁船騒動は“初めの一歩”である。

2チャンネル的噂かもしれないが、あの船長は漁民などではなく、軍人だと言うではないか。それが事実なら、政府主導の確信犯だ。

次は漁船団が、その次は漁船団プラス警護船が、最後は軍艦が来て、魚釣島に旗を立ててのっとり完了となるのもあながち妄言とはいえまい。

 

なので、中国にちょっとでも“つまみ食い”されたら、すぐ周りの人々(世界各国)に大声で知らせて、その手をこっぴどく叩かなければならないのが対中外交のセオリーなのだ。

成熟した大人の国際社会に、“パッチテスト”など通じないと言う事を、かの国に教育せねばならない。

なのに…、お咎め無しでぜ~んぶ返してしまった。

 

こうなった以上、人質のように拘束されていたフジタの社員も戻った今、尖閣諸島警護は海上保安庁任せにせず、海自がしゃしゃり出るべきだと私は思っている。そして魚釣島にしばらく駐屯すべきなのだ…と。

 

そんな事をしたら、反発が強まるではないか、と懸念されるかもしれない。

が、全部お返しして、穏便に事を運んでも、今頃になって反日デモが激化している国である。ならば阿波踊りと同じ。同じ失策でも、強硬なリーダーシップと強面を全面に押し出した方が、余程、国内世論の民主党支持率は上がると言うものだ。

 

とにかく…、民族性が違うのである。

これは価値観も考え方も、つまるところ“なんにも通じない”と思った方がいい。

人と人、腹を割って話せば分かる…なんて事は、正直、無い。

日本人同士だって、3人集まりゃメニューが決まるまでにワイワイ騒々しい。

立場や年齢差という社会通念だけで、おとなしく付き随っている人間関係だって、腹の中では何を考えているのか、所詮、誰にも分かりやしない。

何年来の既知で、充分に信頼し合っていると思った親友ですら、思いがけない一言を発して失望させるものだ。

まして、国家レベルの損得が絡んだ異民族など、もう分かり合える筈がない。 

私たちが唯一、自衛できるのは、中国では、決して仏心を起こさない、と言う事ぐらいだろう。

ちょっとの親切心が大きなアダになる民族性だ。荷物をちょっと見ててと頼まれたり、可哀相だから…なんて関わったカバンに大麻でも入っていたら、即刻逮捕。量が多けりゃ死刑になる…。

私たち日本人は、所詮、外交に弱い島国のDNAに支配されている。

大陸育ちで、西から北から盗った盗られたの国盗り人で培われたDNAには太刀打ちできない。陥れられないよう、鎖国精神で、こちらの腹を読まれないよう気をつけねばならないのだ。

 

…と、甚く偏狭な論陣を張ったが、一方で私には、中国渡航中、レストランで助けてもらった親切な中国人青年の知り合いも居れば、英邁で大好きな中国人ガイドさんも居る。日本語を教えて関わった愛すべき中国人も幾人か居る。

ただ、個としての話と、マスとしての国を同列で語れない以上、「分かり合える」などという幻想は棄てた方がイイと言っているだけの事。

こんな小市民でさえ、かの国との関わり方は心していると言うのに、何故国の代表が…。

まぁ、政治批判はもうウンザリなので、この辺で止めておきましょう。

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安芸の宮島

「安芸の宮島」

この名を聞くと、子供の頃、日本三景の一つと教えられ、その音から“宮島は秋に訪れるべきところ”と、同音異義語のささやかな誤解をしたまま、大きくなったことを思い出す。

私の頭の中では「春の松島」、「夏の天橋立」、そして「秋の宮島」だったのである。

高校の修学旅行が、萩、津和野を中心とした中国地方だったことで、「安芸」と「秋」の誤解は修正に至ったが、長い間、その誤解は訂正できないままに来たコトが、我が事ながら誠に情けない。

さて、西条の酒祭りのあと、折角、広島までやってきたのだから、酒だけ飲んでとんぼ返り…というのも些かもったいない。

体育の日と絡めた三連休であったが、同行の友人が更に有給休暇をプラスしても構わないというので、宮島まで足を伸ばす事にしたのだった。

友人も高校時代の修学旅行は中国地方で、宮島は再訪になるが、私以上に“遥か昔”の事らしい(笑)。

一方、私の宮島訪問に至っては、本州から対岸の島を眺めて、「アレが厳島神社だよ」と車窓遠望。

果たしてちゃんと見えたのか、はたまた見えなかったのか…、今となっては定かではない鳥居を、いつの間にかちゃんと見たことに記憶をすり替えて、行った気になっていただけの、何ともお粗末なものだった。

そんな意味でも、お互いにもう一度見ておくべき時期に来ていたわけだ。

山陽本線で降り立った「宮島口」の駅は、さすが世界遺産の最寄り駅とあって、外国人観光客の姿が多く見られた。

かつての私たちがそうであったように、修学旅行生もゾロゾロ居て、ハイシーズンの人気観光地にやって来てしまった煩わしさを覚えた。

昼過ぎにフェリーで宮島へ渡ると、桟橋で島の案内図を貰ったが、それを取り出すまでも無く、人の流れに乗ってそぞろ歩けば、自然と「厳島神社」へと向かっていた。

Img_1004c_2島では、多くの野生鹿が出迎えてくれる。

厳島神社と弘法大師の開基といわれる弥山(みせん)からなる“聖地”宮島では、鹿を邪険にする人は誰も居ない。

鹿は、神道では神様の使いとされ、仏教では釈迦の初説法に座していた動物として珍重される。

初転法輪の地「サルナート」は、別名「鹿野苑(ロクヤオン)」といわれ、鹿の居る園、そのものである。 

宮島で暮らす人々より、鹿の数が多くなるのは時間の問題だが、いずれにせよ、あちこちで紙くずを食べ、餌をねだって人について歩き、時に背後からシャツの裾をモグモグし、そこいらじゅうに糞が散っているので、聖獣と雖も、気分はドン引きであった。

Img_0942c誰が落としたのか、旅行のパンフレットをむさぼり食う鹿を眺めながら、≪あぁ~(;゚д゚)…. と呆れていると、その背後の海上に真っ赤な大鳥居が見えた。

マメのような遠望とは大違いで、そのダイナミズムに心が躍った。

 

Img_0948pImg_0978pImg_0968cImg_0991c訪問時、丁度満潮だった事もあって、私たちの乗ってきたフェリーは、波で神社内部まで浸水させてしまう理由から大鳥居には近づけなかったが、小型の遊覧船や手漕ぎ船は、満潮時ならではの観光で、海から鳥居をくぐっていた。

そんな遊覧船の一つに、新郎新婦が乗っており、初の厳島参詣で遭遇した慶事に、得も言われぬ幸福感を覚えた。

〔写真左から:遊覧船と新郎新婦 / 厳島神社本社の御神体を賽銭箱から望む。御神体を背に振り返った大舞台。/ 東側の回廊屋根と五重塔。/ 太鼓橋と回廊の軒。〕

Img_0963pImg_0982p大鳥居もそうであるが、厳島神社の回廊も、これら建築物は地盤に杭など固定するものを何一つ打ち込んでいないという。

島自体が御神体であることから、その上に構造物を建設できなかった信仰心の深さが、この厳島神社を生んだのである。海上で鎮座し続ける回廊を歩きながら、信仰がもたらす技術の粋と、筏のように流れていかない摩訶不思議を思った。

〔写真左から:厳島神社東側の社と五重塔。満ち潮の回廊からの大鳥居眺望。 / 奉納の菰被りの酒。黄色い矢印が西条の酒です。〕

厳島が神道なら、宮島の最高峰535mの弥山(みせん)は仏教の聖地である。

神仏習合の思想で、いずれを排することなく共存し続け、表玄関に神様、奥の高みに仏様と、上手く棲み分けているものだ。ここには廃仏毀釈の荒波は押し寄せなかったのだろうか…。

Img_1012c弥山は、途中一箇所の中継点を経由して、ロープウェイが2本在り、終点の獅子岩駅を降りれば、山頂部に点在する弥山のパワースポットが、約1時間で見て回れると観光マップには書いてある。

しかし、そのロープウェイの終点は山頂からは程遠く、そこからしばし険しい傾斜をアップダウンせねばならなかった。〔ロープウェイ終点、獅子岩展望台からの眺め。多島美の絶景だそうですが、五島列島の海を見た後なので…。〕

Img_1021pImg_1022cImg_1024cImg_1026c弘法大師(空海)ゆかりの地には、必ず「消えない灯」といわれるものがある。

日本全国、修行場を求めて津々浦々を訪ね歩いたた空海は、かなりの拝火的信教の持ち主だったろうと思っているが、開祖空海といわれる此処、弥山にも、当然それは在り、1200年以上燃え続ける「消えずの灯」が祀られていた。

せめて、その霊火堂までは行きたいと、非体育会系の私たちは通常20分の登山道を40分かけて歩き、ようやく辿り着いたのだった。

ところが、狭い堂内に焚かれた無数の灯明と線香で、とてもじゃないが中では数秒しか目を開けていられない。

お堂の外まで、モウモウと煙が吹き出し、ともすれば警報機がなっても不思議は無い。

蝋燭の煤と煙に燻されて、這う這うの体で飛び出した私は、ついぞ「不滅の灯」を見るコトは出来なかった。

一方、友人はというと、この上また煙を出すのかい?と笑ったが、ちゃんと堂内で火をとり、線香を手向けて殊勝であった。

こういうところに、人それぞれの生き方の違いみたいなものを感じる。

Img_1050cImg_1045c結局、霊火堂から30段ほど上った三鬼堂までで、疲れ果てた私たちは弥山観光を止め、もと来た道を戻った。

いつも思うことだが、こういう観光地のロープウェイは、本当に料金が高い。決して楽できる訳でもないのに往復1800円。

まぁ、お布施をしたと思うことにして、宮島を後にした。

昼間、あれだけ水を湛えていた厳島神社は引き潮に足元を露にし、大鳥居も干潟の上に全容を見せていた。

この夜、ライトアップされた厳島神社を遊覧するナイトクルーズに出かけた。ホテルの宿泊客へのイベントで、桟橋まで行かずにホテルの敷地内から乗船できるのはありがたかった。

夕食後、ほろ酔いの上機嫌で乗り込んだ船は、昼間、新郎新婦を乗せていたあの龍頭船だった。

Img_1070cImg_1062c厳島神社の夜景は、聖地であることからショーアップするほどの光量は無く、ただ、闇夜に船が突っ込んでこないよう大鳥居を照らしているだけ…という感じ。

それでも再び満ち潮になった宮島で、大鳥居を船でくぐれたのは感無量であった。

ISO64002絞りオーバー…、数字上はISO25600相当の超高感度で撮影しても、遊覧船がエンジンを止めないので、やや光が流れてしまうような微弱なライトアップは、写真としては作品にならないが、幻想的で雅な印象は満点だった。

むしろ、あまりギラギラさせないこのままが望ましいと感じながらホテルへ戻った。

今回、“酒”の旅だったが故に、酔ってカメラを壊しても野暮だと、一眼カメラと交換レンズを持ち歩かない旅行をした。(勿論、宮島では持ち歩いたが…) それが、これほど楽な旅だとは思いもしなかった。

かつては体の一部とさえ思っていたカメラ機材だったが、日々、いかに“余計なひと荷物”を持ち歩いて旅しているのかを痛感。こういう風に感じるのも、つくづく体力が落ちたからだと、帰途、なにやら虚しささえ実感する広島紀行となった。

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悪趣味な土産

今、テレビをつければ見ない日の無い池上彰氏。NHKの『週間子供ニュース』の解説者だった頃は、本当に優れたニュース解説者だと大好きな人物だったが…。

NHK退職後は、同じ事件やニュースを取り上げては、同じ資料で、同じ見解と趣向性で、赤坂でも、お台場でも、汐留でも、虎ノ門でも…、とにかく、あらゆるテレビ局で繰り返し同じ解説をしている。

これだけ同じテイストの番組に出ずっぱりともなると、如何に優秀な人物でも“節操が無い”としか言いようが無い。

尤も、池上さんを非難するのはお門違いかもしれない。

日本全国、一億数千万人白痴化時代に、あまりにも世情を読み解く力に欠ける大衆諸氏には、これぐらいの頻度で、繰り返し啓蒙するコトが必要なのかもしれないからだ。

更には、話題の人物の、旨味が枯渇するまで吸い尽くす手法は昨今のメディアに顕著なスタイルで、その性質の悪い手法に、NHKなどという無競争で趨勢に無頓着な世界で生きてきた池上氏が、まんまとハマっちゃった…ということなのだろう。

そんな気の毒な池上氏が、少し前のスペシャル番組で、呆れた解説をしたのに気が付かれただろうか。

それは、池上氏が海外で買ってきた土産から読み解く、“お国事情”の話をした時だった。

彼は得意げに「北朝鮮のデノミ前の旧紙幣」、「南北朝鮮半島を分断する38度線の鉄条網の切れっ端」、「コソボ紛争で使われたライフルの薬莢で作ったボールペン」、「毛沢東語録」、「カンガルーの手で作った孫の手」を披露した。

奇妙なレア物ばかり…。だがしかし、全て“負の事象”に拘った代物であった。

とりわけ悪趣味を極めていたのは、朝鮮半島を二分した38度線の鉄条網とコソボ紛争の残骸、ライフルの薬莢ボールペンを見せびらかした時だった。

実は20年ほど前、私がまだ語学学校でドイツ語を勉強していた頃、こんなコトがあった。

ベルリンの壁崩壊のニュースに世界が湧き立っていた頃である。ドイツ人講師のバーバラ・ライスラント女史はベルリンっ子だっただけに感慨無量という話をしていた。

そんな彼女に私は「ベルリンの壁の欠片が欲しい。帰国したら是非、幾つか持ってきて」と頼んだ。

すると、驚いたような顔で、「何故そんな物が欲しいの?」と訊いてきた。

「歴史的遺物だから…」と答えた私に、バーバラは「あそこでどれだけの人が死に、どれだけの絶望があったか知っていますか?知っていて、欲しいの?」と訊いた。

返事に窮していると、重ねて「私が原爆ドームの欠片が欲しい、他の国には絶対無い代物だし、歴史的に価値がありそう、と言ったら、日本人は不快感を覚えませんか?」と言った。

最初、なぜバーバラが不機嫌になったのか分からなかったが、詰まる所、彼女が言いたかったのは、負の遺産は決して“記念品”にはならない、土産感覚で扱える物ではない、と言う事だった。

「アレを砕いて売っているなんて、ドイツ人の恥」とまで言った。

ベルリンに居て、現在進行形の東西冷戦を体験した人と、メディアを通じてしか知らない私の温度差は非常に大きい事を知ったものである。

ふと、そんな事を思い出しながら、今尚、小競り合いの続く国家分断の鉄条網は、果たして不戦の近いのシンボルたり得るだろうか。

また、ボスニア・ヘルツェゴビナの民族紛争では20万以上の人々が謂れのない殺戮で死んでいる。それに使われた銃弾の薬莢が、文具に生まれ変わって平和の証といえるのだろうか。

池上彰ほどの人物なら、その歴史的背景や世界情勢を理解して、手元にそういうレアな代物を持つのは構わないだろう。

しかし、世界情勢を語るにかこつけて、テレビでニヤニヤと得意満面に見せる土産とは違うはずである。

もっと言えば、こういうものが土産になる世の中は、かなり“おかしい”事で、そんなものまで商業ベースに乗せる卑しさにも言及すべきだったのである。

人は大なり小なり、妙な一面を持っている。

とりわけ、嗜好性が大いに出る、外国土産を披露するのは、人に本棚を見せるのと同じで、その人の根幹の価値観を露呈するものでもある。

永きに渡って上から目線で自身の考えを話し、大多数が感心してくれる環境に浴すると、人は概ね独りよがりになる。

カリスマに思えた英邁な解説者も、もはや、私の中では“悪趣味なヤツ”になり下がってしまった。残念…。

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西条、酒祭り

広島の西条というところをご存知だろうか。

45年前になるが、リビアのサハラ砂漠を疾駆する旅で知り合った、広島からツアー参加されていたご夫妻に

「西条で盛大な日本酒のイベントがある」

と教わった。

一滴のアルコールも許されない、敬虔なイスラムの禁酒国で交わされた酒イベントの話は失笑モノだったが、それ以降、何かと気になる広島のお酒…。

同じ頃、酒宴が取り持つご縁で、広島は西条の蔵元、「賀茂泉」の若旦那と知り合った。

   

日本酒というと、とかく“北”をイメージする。

「米どころ=酒造り」という構図が潜在的に在ったからだが、毎日、美味しく食べているコシヒカリやあきたこまちなどではお酒は造らない。

「山田錦」に代表される“酒米”で作られるので、醸して旨い米が、必ずしも炊いて美味しいとは限らないのである。

つまり、米どころと酒の結びつきより、酒の善し悪しを決めるのは、断然、“水”であることに気づいたのは極最近の事…。

呑ん兵衛を豪語していたが、飲酒量と知識は必ずしも正比例ではなく、先の蔵元と出会った酒宴に定期的に参加するようになって、ようやく最近、酒の「さ」の字が分かってきたところだ。

 

基本、私はビール党で、ビールをこよなく愛飲する【昼からビールを飲む会】なるベタなネーミングの会合まで主催しているが、その会の会長に据えている好人物と、

「どうだろう、今年は西条へ行っては見まいか?」

と、10910日と開催された『西条 酒祭り』に初参加してきたのだった。

Imgp4558c_2Imgp4556c_2 〔写真左から:JR西条駅。広島大学が西条に移転してきて以降、駅前開発が進んだそうだ。想像以上に立派な駅に驚く。 / PM2時半ごろ降り立った駅。改札は「酒まつり」に向かう人と、泥酔して帰途に着く人とがごった返している。駅はほんのり酒の香りすら漂っていた。〕

 

   

Img_0861cImg_0896c_2Img_0889p_2Img_0894c_2Img_0927c_2Imgp4561c_2

西条には9つの蔵元がある。(正確には8つかもしれない、一つは販売所だけだったような…。)

いずれにせよ、未だ田んぼの広がる一地方都市で、一本の道伝いに次々と酒蔵の煙突が現れる光景は実に衝撃的。

   

“雨女”の面目躍如で、またもや雨雲を引き連れて行ってしまったが、小雨降る空に幾本ものレンガ煙突が伸びる景色は、それだけで呑ん兵衛の心をかき立てた。

〔写真は林立する酒蔵のレンガ煙突。一番右の西條鶴だけが、現在も現役の煙突で、それ以外は看板的要素が強いとか…。しかし、風情たっぷりである。〕

   

酒蔵通りと名づけられたその道を、右に左に蔵名を確認しながら歩く私たちの先に、賀茂泉の若旦那を見つけた時はなぜか嬉しかった。

旅先で知った顔に出会える妙味。この感覚が、私にとって国内旅行をしていて最もかの地に愛着を覚える瞬間である。

   

「荷物を置いて、早く一杯呑まなきゃ!」という蔵元に促され、まずは滞在先のホテルにチェックイン。

一息ついて、早速「賀茂泉」から蔵めぐりを始めた。

   

Img_0874pImgp4570p酒蔵通りには、西条駅を挟んで東側に「白牡丹(ハクボタン)」、「西條鶴(サイジョウヅル)」、「亀齢(キレイ)」、「賀茂鶴(カモヅル)」、「福美人(フクビジン)」、「賀茂泉(カモイズミ)」と6蔵が並んでいる。

蔵通りからは離れるが「金光(カネミツ)酒造」も在り、一応これも西条酒のブランドになっている。

西側には「山陽鶴(サンヨウヅル)」と「賀茂輝(カモキ)」の2蔵。あわせて9蔵というわけだが、それぞれの蔵元でそば打ち、吟醸アイス、牡蠣焼き、グッズ販売…と諸々のイベントを行っているが、中でも、此処の名物といえば「美酒鍋」であった。

    

塩コショウで味付けした野菜炒めに酒をぶちまけたような汁物で、実際食べてみるとB級グルメの末席に位置するくらい…かな。竹酒などと併せて頂いたが、塩辛さが際立って、喉の渇く鍋であった。〔写真左から:賀茂泉の蔵元で頂ける美酒鍋。一杯500円はどうかと…(-"-) / 竹の器で頂く竹酒。大きな竹の中を通して1合400円で販売している。香りがイイ。〕

   

翌日は、前日の雨が空を洗ったように素晴らしい秋晴れであった。

朝一番で「酒ひろば」へ向かう。

Imgp4592c既に前売りの入場券を東京で購入していたので、開幕30分前ぐらいでイイだろう…と思いきや、広場に到着した時には、会場をぐるりと囲む人垣に、警備の人がスピーカーで「最後尾はずっと向こうだ」と案内し続けていた。

人垣に沿って裏道を抜けクネクネクネクネ、何百人が行列を作っていることやら…という盛況振りに唖然としながら、行列の最後尾に付いた。

   

酒祭りはこの「酒ひろば」と「メイン会場」といわれるところが本筋。メイン会場では歌手のコンサートや和太鼓などのパフォーマンスもあって、酒を飲みながら、屋台でつまみを買って、呑み食べできるようになっていた。 

   

一方、私たちの向かった「酒ひろば」は、西条に限らず、日本全国の酒蔵から約900銘柄の日本酒が並び、利き猪口と出品目録片手にひたすら呑み放題の場所である。

一画でつまみも売っているが、何はともあれ、1500円の入場料分は呑みたい。

   

Imgp4597pImgp4594c利き猪口片手に、何から飲んでいいのかわからない私たち二人は、ひろばの全体図を把握するだけでもモタモタして居るというのに、その傍らで、さっさと陣取りして、持参のお盆にメンバー分のお猪口を乗っけて酒を注いでもらっている“常連”のその準備万端ぶりに驚嘆させられた。

 

全国から30万ほどの人出…と雖も、やはり多くは広島県内の人々のお祭りのようで、西日本の人の東北地方への酒の憧れは強いのだろうか、東北エリアの試飲テントは長蛇の列。

東の酒なら東京に帰ってからでも飲めるということで、私たちは専ら、中部、近畿、中国地方のお酒のテントに出入りした。

 

1杯、約100200円として、10杯以上は飲みたいと思ったが、快晴の空の下、朝から歩き回って飲む日本酒はちょっと危険…。

8種の酒を煽ったところで、このひろばでの飲酒は打ち止めとし、前日、回りきれなかった酒蔵めぐりへと場所を移した。

   

Img_0870cImg_0893cImgp4579cImgp4602cImg_0918p吟醸酒片手に大牡蠣の浜焼きを頬張り、大吟醸ジェラードを舐め、酒豆腐を食べ…と、何から何まで酒、酒、酒で過ごした西条の二日間は、実に愉快壮快なひと時だった。

〔写真左から;賀茂泉の蔵内 / 西条最大の酒造メーカー「賀茂鶴」の蔵通り / コスモスで演出された亀齢酒造 / 大吟醸ジェラード / 蔵元ごとに仕込み用の湧水井戸を持っている。通りのあちこちに井戸があり、酔いを冷ますコトができる。いずれの水も口当たりの非常に柔らかい軟水で、本当に甘い。〕

   

Imgp4631cImg_0887cImgp4605cImg_0930cImg_0928c既に愛飲している「賀茂泉」はさておき、東京では知ることの無かった「白牡丹」「亀齢」「賀茂輝」あたりの酒が、私の口にはとても美味しく感じられた。

「西条酒祭り」、一度知ってしまうと、ちょっとクセになるイベントであった。

〔写真左から;今回立ち寄った蔵元の利き猪口と白牡丹の暖簾。早速、我が家の台所にかけられました。/ 西条の田園風景。奥の煙突は賀茂泉 / 祭りから一夜空けて、静けさの戻った蔵元。/ 西条駅西側の賀茂輝酒造。造り酒屋の風情漂う店構えと、その屋根瓦。この地域の家屋は、天井が低く、赤茶色の屋根瓦が特徴的だった。〕

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復活の狼煙

随分ご無沙汰の当ブログ。何ヶ月も休筆してしまいました。

僅かながら読者も付いていたものを、ここまで放置してしまうとまた一からの出直しですね。

それでも、習慣で立ち寄られた方、または新規に偶然通りすがった方も、また『独り言』を書き綴って参りますので、よろしくお願いします。

頓挫した「五島列島、祈りの島巡りの旅」も脱稿せぬままに、実は、更にまた五島へと旅してきました。未踏の島々へ。

どこか、魅了して止まない西の離島群は、訪れる度に新鮮な感動と純粋さを心の内に呼び覚ましてくれる場所です。

折につけ、この島々の話は差し挟んでいきたいと思いますが、独り言復活ののろしは、最も私らしい“酒ネタ”であげます。

出直しの別項にて、ひっそり更新します。今後ともよろしくご愛読の程お願いいたします。

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国土消滅?!

一昔前、中国人による残虐な犯罪が増加したことを受けて、金品欲しさの犯罪リスクが少ない富裕層に限って、入国ビザが発給されるよう、入国管理を厳しくした筈だった。

当時、日本語教師の資格を取った事もあって、貧しき中国人の締め出し政策に、一種の差別であるとか、日本語学習者の大半を占めていた中国人の激減に日本語学校の閉鎖が相次ぎ、業界は色めきたったものである。

結果、日本語教師の就職氷河期は、今のリーマンショック以降の学生の比ではなくなった。

それでも日本語教育への熱意を見せる人々は、止む無く日本を去り、中国の学校へと自らの拠点を移さざるを得なかったのである。

それが、この長引く経済不振の中で、中国人富裕層をターゲットにした商いに市場が牽引され始めると、俄かに入国規制の緩和を発表した。

何故、厳しくしたのか…という理由は全くそっちのけで、日本で買い物してくれるなら「YO- KOSO!」と両手を広げたのである。

勿論、狭い東シナ海を挟んだ隣国同士の往来が盛んになることは大歓迎である。それで両国が共に成長し、いい隣人関係が構築できるのであれば、もろ手を挙げて賛成する。

ただ、中国人富裕層頼みの経済活況は、本当の意味での日本の景気回復なのだろうか?

また、彼らをターゲットとした商いで、最近、頓に堅調だというのが“不動産売買”のようだが、何でもカネになれば節操無く売ってしまって大丈夫なのだろうか…。

門外漢ゆえ皆目分からないが…、外国人が日本国内に持てる不動産の面積は、国土の何パーセントまで…なんて事は、法律でちゃんと決まっているのだろうか。

既に言い古された事だが、中国人富裕層は日本の総人口に匹敵するという。

もし、中国人富裕層が日本に1軒ずつ家を持ったら、持ち家保有率はあっという間に日本人を越える。

という事は、戦争することなく、合法的に日本国土が中国化するということではないのか…と。

かつて、日本人がエコノミックアニマルと揶揄された時代に、アメリカの大企業や象徴といわれるエンパイアステートビルを購入し、忌み嫌われたものだった。

私にいわせれば、「節操無く、日本人に売ったヤツはアメリカ人自身だろうがっ!」だったが、四半世紀遅れで今、日本が中国に買われている。

“経済”の御旗の下、かつてのアメリカ人よろしく守銭奴に成り下がっていると、いつの間にか国土まですっかり中国に売り飛ばしていた、なんてコトになりはしないか…。

これにインド人富裕層も加わると、もはや日本は消滅する。

ま…、そんな事になってしまう前に、早く死んでしまいたいと思う今日この頃である。

(え、そんな結論かいっ?!(*_*;)

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祈りの島めぐり、五島列島の旅 (13)

9月、140余りの島々からなる五島列島を、下五島地区(福江島、久賀島、嵯峨島、奈留島)から、上五島地区(若松島、中通島)へと渡り、古くからこの地に根付いたキリシタン信仰の足跡を辿って、島巡りの旅をしてきた。

すっかり頓挫してしまったが、何も一年をかけて語るほどの“1週間”でもあるまい、出来るだけサクサクと残りの話をしようと、気持ちも新たにキーボードに向かうことにする。

読者の皆様には、またしばらくのお付き合いをよろしくお願いします。

さて、この五島列島の旅の中で、旅仲間のSと私が最も心を寄せていたのは、ひょっとしたら此処だったんじゃないか…と思うのが「キリシタン洞窟」である。

地元の言葉で「キリシタンワンド」と呼ばれる海蝕洞だ。

若松島の南東端に突き出た岬、「白崎」を廻り込んだ小さな入り江に在るその洞窟へは、未だ陸路は無く、瀬渡し舟でしか行くことが出来ない。前の日に予約した「せと志お」号に乗って、いざ若松瀬戸へと漕ぎ出すのだった。

といっても、エンジンで動く立派な船だが…(^^

Img_1368c潮風を切って、複雑に小島が入り組む若松海中公園を10分ほど航行すると、まず目に飛び込んでくるのが「ハリノメンド(=針の穴)」と呼ばれる、波によって穿たれた海蝕トンネルだった。

四方八方を海に囲まれる日本では、決して珍しい光景ではないが、見る角度によっては“聖母マリアのシルエットに見える”というから、いかにも五島らしい景色だと思えたのである。

Img_1374cハリノメンドを過ぎて、岬の突端を廻り込むと、いよいよキリシタン洞窟に着く。…が、それは海上からでは全く分からない。

今は崖の中腹に真っ白なイエス像と十字架が建っているので、あそこが「キリシタン洞窟」と分かるが、それでも、船からは洞窟の存在など微塵も窺うコトが出来なかった。

だからこそ、迫害を逃れたキリシタンたちが、しばし隠れ住んだのである。

Img_1380p波が岩を洗い、自然の造形とは思えないほど平らな海蝕台場に降り立つと、見えていたイエス像(3.6m)と十字架(4m)の大きさに驚く。

そして、眼前に広がる崩落した大岩ばかりの行く手に、思わず、洞窟へ近づくことを躊躇ってしまうのだった。

舟に乗り合わせたもう一組の見学者を導く水先案内人(写真の矢印の人物)は慣れたもので、ヒョイヒョイ石を渡って、あっという間に崖下の洞窟内へと姿を消した。

上五島の観光資源“ナンバーワン”といわれながらも、此処は観光客におもねる事無く、全く整備されていない。そんな環境が一層、当時のキリシタンたちの過酷な潜伏状況をリアルに再現しているようだった。

説明によれば、明治初期に吹き荒れた過激なまでのキリシタン弾圧を逃れて3名のキリシタン(山下与之助、山下久八、下本仙之助)がこの洞窟に身を潜め、息を殺して暮らしていたという。

海上からは見えず、洞窟の存在すら知られていない絶好の隠れ家だったが、ある朝、迂闊にも食事の支度の煙が立ち昇ってしまい、漁船に目撃され、その潜伏が露呈してしまったのである。

3名はたちまち捉えられ、改宗を迫る厳しい拷問を受けたという。とりわけ角材の上に重石を抱いて正座する「算木責め」は酷かったようで、禁教の御触れ(キリシタン迫害)が取り下げられた後、信教の自由が約束された新時代が訪れても、ここに隠れた信徒たちは皆、生涯、足が不自由だったそうだ。

何とも痛ましい話である。

 

ところで、隠れキリシタンたちの苗字に「下」の字がついていることにお気づきだろうか。

平民も苗字が許されるようになると、役人はキリシタンたちを差別して、あえて蔑む意味を込めて「下」の字を付けたといわれている。

Img_1387pImg_1395c2Img_1399cさて、話を洞窟に戻そう。

奥行きは東西に50m、高さ・幅共に5m、南側にも口が開いたT字型の洞窟で、想像以上に中は広くて大きい。

入り口付近の壁面には信仰対象の像でも掲げていたのだろうか…丸い窪みが残されていた。

〔写真左:合成左側-足場の悪い岩場を進むと、奥に裂け目(洞窟)が見えてきた。合成右側-更に近づき、洞窟の入り口から奥を望む。50m先の海に面した東側の口が見える。 / 写真中:聖母マリア像でも掲げていたのだろうか。何かをはめ込んだ痕が残る壁面。 / 写真右:洞窟の中から入り口を振り返る。旅仲間Sの姿から、洞窟の大きさが分かるでしょうか?〕

   

Img_1406pImg_1417cImg_1423cImg_1426c洞内に差し込む僅かな光の中で、耳にするのは波音の反響ばかり…。

先の見えない潜伏生活の、その絶望的な日々を支えたのは、恐らく信仰だったのだろう。…が、その絶望的な日々をもたらしたのもまた信仰となると、私には理解し難い空しさばかりが募って仕方なかった。

〔写真左から:洞窟内中央付近で東西を眺める。足場は岩と漂着ゴミだらけ。 / 中央付近から南側に出る口を望む。大岩が塞ぎ、海上からは洞窟が分からない。 / 南側出口付近の天井。僅かに陽光が差し込む。 / 南側開口部から若松海中公園の島々が見える。〕

Img_1435cImg_1369cところで、このあとσ(>_<)ワラヒは洞内ですっ転び、“弁慶の泣き所”を強打してしまった。

帰路、船着場の無い海蝕台場からの乗船は、小さな石を踏み台に、舳先に「よっこらしょ」とよじ登るのだが、我が身の重量オーバーで、Sや水先案内人らにギュウギュウ押し上げられて、ようやく乗船するコトが出来た。

その際、怪我した向こう脛を舳先にギュウギュウ押し付けられ、まるで「算木攻め」の苦しみであった。

キリシタン洞窟のような、人の“気”がこもった、いわく付きの場所を訪ねると、決まって第六感が妙に冴えてしまうσ(-"-) ワラヒ…。

やはり何か妙な“気”がとり憑いてしまったのだろうか。身をもって経験した隠れキリシタンの痛みに、悶絶のワンド見学となったのだった…。(*_*; トホホ~

〔写真左:迎えに来た帰路の瀬渡し舟。驚くほど平らな岩場は、波が削った海蝕台場。/写真右:“針のメンド”の並びにある窪み(矢印の部分)が、キリシタン洞窟の東側開口部。この位置からは洞窟に気付かない。〕

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長々休筆しました

冬季五輪の話題を挿んで以降、すっかり筆が鈍ってしまった『祈りの島めぐり、五島列島の旅』。

時折、「上五島はどうなったの?」、「元気?」といったメールを頂戴し、気に掛けて下さる方々の存在が有り難く、感謝の念に耐えなかったが、ここ数年、ずっと思わしくない背中の痛みに悩まされ、“倦怠”と“発熱”にすっかり気力が萎えてしまっていた。

寝たり起きたりの日々に、精神的にも参ってしまったこの2ヶ月。

ぼんやり眺めた世の中は、煮えきらない事ばかり…。メディアによる情報収集もいい加減に辟易した。

そんなウンザリ感の中で、またも宇宙開発の話題が“誉れ”とばかりに近頃のメディアを席巻した。

日本人宇宙飛行士が…、それもママさん飛行士だったからとりわけ話題にしやすかったのだろう、スペースシャトルに乗ったことで、ヤイのヤイのの話題提供であった。

個人的には彼女になんら恨みも憎しみも無いが、ジェンダーが話題としてフィーチャーされた割には、“だから何?”というような事しか宇宙空間でやっていない(…ように見える)。

船内生活では奇妙な和服を着て、いっそ大正琴にしてしまえばいいような寸足らずの和琴を持ち込み、私でも弾ける「さくら、さくら♪」を奏でて見せた。

既に宇宙ステーション滞在中の日本人宇宙飛行士の髪をバリカンで刈って見せたり、手巻き寿司を二人で頬張ってみたり、センスの無い和歌を詠んだり…。

シャボン玉に色が付くかどうか、全く愚にも付かない事を「実験」と称してやっていた。

宇宙空間でやらなきゃならない事って、その程度なのだろうか?

人類が宇宙空間に飛び出して早、半世紀以上が経過した今、一般素人でも宇宙の第一義的環境が“無重力”と分かっている中で、再三放映された山崎さんの浮遊映像。

バサバサに髪を乱してニタニタしている女性の空中浮遊を、一体誰が興味深く眺めるのだろうか。

発信する言葉ときたら、「宇宙は素晴らしい、地球は美しい」の連呼。

どれだけ英邁な人材か知らないが、問題意識を持って地球外に出ないからだろうか、何がどう素晴らしいのか、どう美しいのか、もっと記憶に残る言葉で表現して欲しいものである。

宇宙に出た人間だけが、悪戯にはしゃいで見える有人ロケットの宇宙開発は、私たちに何をもたらしているのだろうか。

文科省の経費をJAXAが食い潰す金額は毎年400億以上。

それだけの血税が注がれて建設されている宇宙ステーション「きぼう」は、未だ今後の利用目的が定まっていないという。

当然、“目的有りき”で始まった事とばかり思っていたのだが…。

よく、メディアのアンカーマンは、宇宙開発に「夢」という大儀を乗せて発信する。

しかし、現実には宇宙開発が地上に関与しているものといえば、偵察や迎撃システムといった軍事利用と、GPSや衛星通信などで、いずれも有事には軍事転用されるものばかり。そこに、夢と呼べるものが本当にあるのだろうか。

今回、山崎さんや野口さんが宇宙に滞在している間に、地球では250年ぶりに火山が大噴火を起こし、再び中国で甚大な被害を生む大地震が起きた。

アイスランドの噴煙を避けて、欧州諸国では6万とも7万とも言われる空路が欠航。地球を外から見つめる位置に居て、彼らは何か、地上への有用な情報提供をしなかったのだろうか?

尤も、そんな能力が無かったのならば、せめて帰還第一声が「歯痒かった…」とはならないものだろうか…。

無邪気にはしゃいで、「皆さんアリガトー」では、あまりにお粗末。

いつもながら、「宇宙の前に足元でしょ…┐(゚~゚)┌」と思ってしまう。

間もなく始まる事業仕分けで、宇宙開発に仕分けのメスを入れては如何かと、つい俗っぽいところでオチを求めてしまう。

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