知ってたでしょ?!
今、“八百長騒動”が相撲界を震撼させている。
ついに、春の大阪場所は「開催中止」という事態になり、国技として、神国日本の神事として、連綿と続いてきたその歴史に大いなる汚点を残してしまった。
個人的には、戦時中や占領下といった国家の有事でもない今の時代に、その歴史を断ち切ってまでの“春場所中止”は行き過ぎの感を覚えるが、度重なる不祥事で世論とメディアの風潮が許さないのか、相撲協会も過剰反応せずにはいられなかったのだろう。本当に残念で仕方がない。
何しろ、こんなイカサマ相撲を繰り返したのが、その四股名の認知も浅い、下っ端力士ばかりだからだ。
(調査次第では大物力士の名前も浮上するかもしれないが…汗!!)、言葉は悪いが、「こんな雑魚のせいで…」という思いが拭えないのである。
尤も、このまま春場所を敢行すれば、再び天皇賜杯の無い場所になってしまうだろう。
歴代トップの7連覇を目指す横綱・白鵬に、虚しい優勝を再び味わわせるのは酷である。日本人として、日本の伝統文化を支えてくれている角界の“孝行息子”に、何度も涙の表彰式を味わわせてはなるまいと思うと、やはり止む無しの顛末なのだろう…。
ところで、これだけトラブル続きの相撲界では、関係者とやらは全くもって食いっぱぐれが無いもので、八百長相撲の発覚以降、テレビには「元力士」とか「元おかみさん」らに並んで、東京相撲記者クラブの“会友”なる御仁が、連日のように雁首揃えて出演、気色ばんで「綱紀粛正」とか「ファンへの背信行為」などと声高に叫んでいる。
この人たち、相撲を見続けて40年とか、50年なんて紹介を受けているが、確かに、相撲中継でも“砂被り”や“後援会席”でその顔が映し出される事も少なくない。そんな間近で、年がら年中、相撲を見続けて、どうして、この八百長を今まで一度も指摘しなかったのだろうか?
本気で「気付かなかった」と言えるのだろうか?
私は、とってもへそ曲がりなので、この騒動の本質よりも、実に、この会友の爺さま連の“節穴ぶり”が不思議で仕方がない。
星取表を片手に、テレビでガッツリ観戦の私にだって、時に、その“出来レース”は画面を通してなんとなく分かるというのに、“会友”御仁が今更、高潔ぶって当事者を糾弾するから噛み付きたくなる。
「本当は、日常的に八百長があったことを知っていたんでしょ?」と。
彼らも少しはその辺に気付き始めたのだろうか、騒動勃発当初よりトーンダウンしてきたのが滑稽である。
さて、日曜のニュース番組で、スポーツ評論家が御尤もなことを言った。
相撲は、「1に神事であり、2に興行であり、3にスポーツなのだ」と。
つまり、興行的要素を含む限り、ショウアップされる部分は何処かしら存在するのは当たり前。全てをスポーツ的要素で白黒つけることは、相撲の歴史と認識が浅い証だというのだ。
こうも言った。
「力士というのは、10代の頃から同じ釜の飯を食い、時に部屋が違っても、出稽古で部屋の垣根を越えて共に苦しい稽古を積んできた同胞感がある。<アイツ、あと星一つで陥落しちゃうな…>と思えば、情が甘い取り組みを無意識に生んでしまうこともある」…と。
それをこの評論家は「人情相撲」と称したが、確かに、勝ち越し力士VS勝ち越し瀬戸際力士の取り組みでは、後者の勝率が異常に高いそうだ。正に、“人情”が勝った一番なのだろう。
これらを全て「八百長」と呼んで糾弾したら、相撲はもはやボクシングやレスリングと変わらなくなってしまう。
神話を読めば、神様だって随分、整合性の無いえこひいきをするものだ。情に絆されて、「臭いなぁ~この取り組み…」ってのが有ったっていいように思う。
奇しくも石原都知事が「騙されて見ていりゃイイじゃないか」と言った。σ(-“-) ワラヒは、あの人、大嫌いだが、何処と無く、この発言には同調してしまう。
尤も、金銭で星が売買されているのは論外。そんな連中は、これを機に朝青龍宜しく、トットト消えてもらって結構。
冒頭言ったように、所詮「雑魚力士」で、強くなれなければ、角界にその名を残すのも、こんな汚点でしかない情けない連中だろう。
ただ、今回の八百長騒動の過熱ぶりに、なんとなく、日本全体が“さじ加減”と言うのを失ったようで怖い。
この大騒ぎに煽られての春場所中止の顛末に、「何を今更…。みんな知ってたでしょ?」と、ちょっと言わずにはいられなくなってしまった…(^^ゞ
































































































最近のコメント