祈りの島めぐり、五島列島の旅 (7)
福江島での、教会めぐりのラストスパートは「浦頭(うらがしら)教会」から始まった。
このあと訪ねた「堂崎(どうざき)教会」と見学順を入れ替えれば、この教会の沿革がより鮮明になったのだが、地図上、近いところから攻めていったので、先に現れたユニークな外観めがけて、崖の上の教会へと向かった。
この浦頭教会は、老朽化した堂崎教会の後を継ぐ形で昭和43年に竣工されたものだった。
堂崎でのミサを知らせるホラ貝の音が止み、その小教区が廃止されると、今度は地域一帯の信徒が集いやすいよう、初期の仕事を創出、教区の中心地に浦頭教会が建ったのである。
そしてこの浦頭の完成を以って、五島におけるキリシタン信仰発祥の地だった堂崎教会は、その役目を県の文化財へと変え、常駐司祭の居ない巡回教会となった。
浦頭教会のユニークな形状は、『創世記』の“ノアの箱舟”を象り、<信仰の復活>を讃えているとのことだった。
このことは、堂崎教会の意義を知れば、その後継者たる浦頭の在り方も自ずと分かるのだが、そもそも外観に魅かれて立ち寄ったような訳で、全体像を眺めると、その近代的な教会に然程興味も無く、サクサク見学して10分足らずで立ち去った。
では、前身の「堂崎教会」は…というと、五島のキリシタン史を語る上で、決して素通りできるような教会ではなかった。
堂崎は常に五島の教会群の“表紙”とも言うべき存在で、明治6年の禁教解除以後、真っ先に長崎本土から宣教師が渡ってきて、布教と社会福祉に尽力した、キリシタン復権の出発点だったのである。
後継の浦頭教会が<信仰の復活>を讃えているのもうなずけるのだ。
〔写真:堂崎教会と教会設立に尽力した宣教師の銅像〕
長崎本土からやって来た宣教師は、潜伏信徒の発見と布教の傍ら、明治初頭の漁村、農村の、その貧しさから間引かれる子供たちの悲劇を知ると、孤児・貧児らを引き取り、養護施設を設立する。次いで、その子供たちの面倒をみるべく、保母さんの育成をする一方で、そうした善意の独身女性たち(尼僧)のために修道院まで併設することとなったのである。
当時はそれを「子部屋」「女部屋」と呼んだそうだが、方や「奥浦慈恵院」として、そして「お告げのマリア修道院」として、現在まで(場所こそ移転すれども)各々継承されているのは立派な事だと思った。
教会が信徒の心の拠り所であるのに加えて、弱者救済という形で社会貢献する姿は、信仰本来の在り方を説く大いなる鏡となったことだろう。〔写真:堂崎教会の前庭に置かれた、クルス地蔵。隠れキリシタンたちが聖母マリアに見立て、密かに拝んだと言われる。〕

五島出身の殉教者で、日本の二十六聖人の一人であるヨハネ五島(写真左)に捧げた堂崎教会は、五島初の本格西洋建築ということで、ヨーロッパの教会建築技法に忠実に作られていた。
イタリアから取り寄せたレンガを積んだゴシック様式に、4分割の漆喰、リブ・ヴォールト天井(コウモリ天井)で、アーチを形作る柱(リブ)の一本一本が、それまで見てきた教会より幾分細い感じがした。そのせいか何処となく繊細で、堂崎教会が背負ってきた骨太の活動に比べると、意外なまでの優美な女性的イメージを感じる聖堂であった。
尤も、此処に写真を掲示しているのは可笑しな話で、堂内は博物館のため撮影禁止だった。
うっかりシャッターを切った一枚…ということで、しれっと公開しておく。教会めぐりで入場料(300円)が必要なのも此処だけだった。

初日、久賀島へ向かう船からも見えたこの堂崎教会は、驚くほど清らかに澄み切った奥浦の内海に静かに佇んでいた。
美しすぎる光景の背後に、キリシタン迫害の惨禍があったのかと思うと、なかなかササッとは立ち去り難く…、結局、堂崎教会に小一時間を費やすこととなった。
重く陰惨な歴史を孕んだ跡地が、今はとっても美しい…というのは、どこかポーランドで見たアウシュビッツやマイダネックの強制収容所跡に似ていた。
多くの人の血を吸った大地とは思えぬ青々とした芝の草原、真っ赤なレンガの収容施設、そんなものが本当に美しいのである。
そんなことを話しながら、Sと向かった次の教会は、「宮原教会」だった。
どこまで車で入っていっていいのだろ…、そんな気持ちになる住宅地の路地を抜けていく。
立派な聖堂を持つ浦頭、堂崎と見てきただけに、眼前に現れた宮原教会はあまりに素朴で…、ある意味、こういう方が心を打った。
それは屋根に十字架が乗っていなければ、周辺民家に埋没して、全く見分けがつかないほどに小さな教会であった。
この地区は隠れキシリタン時代からの信仰集落だそうだ。
当時、隠れキシリタンの組織として密かに組まれた信仰組織が五島全土に117もあったというが、現在まで残るのは、この宮原教会の信徒、一組織だけだそうだ。
尤も、信徒のみならず、島民全体の高齢化や離島が進む今、こういう教会の維持保全は実に大変だろな…と、何となく切なさが募るのだった。
レンタカーを返却し、港まで送ってもらうと、140もの島々から成る五島列島の、丁度真ん中に位置する「奈留(なる)島」へと渡った。〔写真左から:福江港から奈留島へ渡るフェリーからの眺め。/初日訪れた久賀島にかかる太陽。/奈留島上陸後の漁港。〕
前夜の寝苦しさとは一転、広々とした和室にベッドという環境で、冷房をガンガンにかけての熟睡の奈留島の夜であった。
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コメント
今回は ヨハネ五島の写真が 一番ショックでした・・
日本にも 聖人と呼ばれる人が いたんですね。
キリスト教のために 最後は キリストと同じように 磔にされて 亡くなった・・
と いうことですよね?
全然 知らなかったので とても驚きました。
再び、人間は どこまで残酷になれるのか、と 悲しくなるのと同時に
元々異国から入ってきた文化、宗教なのに
人間は どうして こんなにも深く 信心出来るのか?と 感動し、また考えさせられました。
こんなことを 素晴らしい写真と共に レポートして下さった すとろんぼりさんに
大感謝です!
投稿: むーたん | 2009年11月 2日 (月) 09時41分
むーたんさん、コメント有り難うございます。
返事が遅くて、いつもすみません。
日本の26聖人。外国人宣教師を含む26人で、長崎市内に記念碑がありますね。
このうちの一人がヨハネ五島…。享年19歳の磔刑が、あまりに痛々しいです。
この堂崎教会の中には、ヨハネ五島の遺骨が安置されていました。
聖人に認められた人ですから、聖なる遺骨ということで、ガラスケースの中に入れられ、拝見できます。
五島のキリシタン迫害は、長崎本土と違って、隠れ潜んでいたのが見つかる…というより、隠れていることに嫌気が差して「私たちはクリスチャンだ」と声を大にして殉教したところがあるようです。
旅するまで、私も全く知らなかった日本のひそかな歴史の一面に触れ、今もって感慨深い気分です。
野暮用に追われ、更新が停滞しました。
今しばらくお付き合いくださいませ。
投稿: すとろん | 2009年11月 9日 (月) 00時38分